体験談から学ぶ生きた人間学


毎号、その道で活躍されている
方々の人生をギュッと凝縮して
お伝えしている「致知随想」。

まず、このコーナーからいつも
読んでいるという読者の方も
多くおられます。

それぞれのご体験談から、
生きた人間学を学びます。

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「必要でない命はない」
川下 都志子(一般社団法人Silva代表)
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私が環境問題に関心を抱いた原点は、
幼少期のある体験に遡ります。

私は1969年に新潟に生まれ、
5歳から母の実家がある
愛媛県松山で育ったのですが、
病弱で運動ができなかったこともあり、
草花や小川にいる生き物と
遊ぶのが大好きな子供でした。

しかし、ある日突然、
ブルドーザーがやってきて、
遊んでいたお花畑を破壊し、
小川をコンクリートで
埋め立ててしまったのです。

当時は日本が高度成長期に
突入していく頃で、その開発の波が
松山にまで及んできたのでした。

恐怖を感じた私はすぐさま
自宅に駆け込み、

「遊んでたお花畑や小川が
 なくなっちゃった!」

と、家族に涙ながらに訴えました。

しかし

「経済が豊かになって
 生活が便利になっているんだよ」

と、誰も相手にしてくれないのです。

便利さと自然、生き物の命
が同じ天秤にかけられていることに
違和感を覚えながらも、やがて私は
「自分は皆と違い変なんだ」と、
自分の感覚を封印してしまったのでした。

その頃より、父が仕事で
家を空けることが多かったことから、
呉服屋を営む祖父の店に
よく遊びに行くようになりました。

日本の着物文化などについて
教えてくれる祖父は尊敬すべき存在で、
祖父といる時間は本当に幸せでした。
 
ところが、その祖父も……


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「経営を伸ばす顧問弁護士」
三谷 淳(未来創造弁護士法人代表弁護士)
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1996年、大学3年生の時に
司法試験に最年少で合格した私は、
大手法律事務所に勤めた後、
2006年に独立開業。

現在は上場企業から中小企業まで、
業種業態問わず百数社の
顧問弁護士を引き受けています。

私は弁護士の他にも税理士の資格を持ち、
上場企業の取締役も務めているため、
三つの立場から経営判断に努め、
顧問先の約97%は黒字経営です。

これまで裁判を知り尽くしてきて
分かったことは、裁判はやっても
あまり意味がないということ。

それよりも大事なのは、
トラブルの予防や交渉による
早期解決だと気づき、
その点を強化した助言をしています。

最近ではありがたいことに、
「日本一裁判をしない弁護士」
と呼んでいただけるようになりました。


そんな私が弁護士を目指したのは、
特段大きな夢や志が
あったわけではありません。

母が倹約家だったため、
自分で自由に使えるお金が
欲しいという単純な理由に加え、
中高時代に芸術やスポーツでは
人に敵わないと痛感し、
学力で勝負しようと決めたのです。

司法試験の受験資格が
大学3年生からだと知ると、
そこに焦点を定めて逆算し、
1日13時間、猛勉強。

当時の合格率は2%でしたが、
無事に目標どおり合格しました。

卒業後は大手弁護士事務所に入りましたが、
当時の私は先生と呼ばれ天狗になり、
常に自信過剰でした。

僅かな時間で成果を出し、
夜な夜な遊び翌朝
ゆっくり出社するなど、
自由奔放に働いていたのです。

一方で、自分が本気を出していない
ことを誰よりも自覚していました。

このままぬるま湯に
浸かっていてはだめだと
危機感を抱き、
自ら厳しい環境に身を投じるため、
30歳の時に独立を決意しました。

いま思えば恥ずかしい限りですが、
能力に溺れていた私は、
独立してからも殿様商売を
続けていました。

時間を守らない、
電話の折り返しを
しないなどは日常茶飯事。

それでいて、

「なぜ売り上げが伸びないのか」
「なぜスタッフやお客さんから
 評価されないのか」、

そんな不平不満を抱いて、
悶々とする毎日を過ごしていたのです。

転機が訪れたのは……

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