会社で~社内木鶏会のご紹介~ 社内木鶏会で、我が社はこう変わった
私は木鶏会を、何があっても絶対に休まない。
井上石灰工業株式会社
代表取締役 井上孝志 様
社名/井上石灰工業株式会社
事業内容/石灰製品の製造開発
創業/1884年10月
所在地/高知県南国市蛍が丘2-3-5
社員数/76名
社員と共に壇上へ立った瞬間、
12年間続けてきて良かったと心から思いました
私は、高知県の井上石灰工業株式会社の井上孝志と申します。
第12回「社内木鶏全国大会」に、中四国ブロック代表として出場させていただきました。
あれから既に年月が過ぎましたが、
まだ数日前の出来事かのように思えるほど、心に残る素晴らしい体験でした。
「もし、チャンスをいただけるのなら、もう一度挑戦してみたい」
と全国大会の舞台で発表を経験した社員は全員、本気で思っているほどです。
さて、当社は、社内木鶏会を始めて2026年で13年目となります。
13年前と比べると、いまでは、社風、地域での評価、採用面、何よりも会社の業績に、大きな変化がありました。
ドラマに出てきそうな、何か劇的な出来事や、波乱万丈な事件があった訳ではありません。
一つひとつの課題に向き合い、そしてコツコツと継続することによって、
現在の姿になることができた道程を、これからお話ししたいと思います。
その中で、致知出版社様との出逢いが大きな分岐点になっていることは間違いありません。
何かしら興味を持っていただけることが、一つでもあれば幸いです。最後まで、どうぞ宜しくお願いいたします。
歴史ある石灰産業を基盤に創業から140年
はじめに、会社紹介と自己紹介をいたします。
当社は、1884年の創業以来、地元高知で産出される高品質の石灰を原料とした
医薬・試薬用の高純度カルシウムや、ゴム・樹脂用工業薬品、
肥料、農薬、食品添加物用の石灰製品などを開発し、国内外で販売をしてまいりました。
おかげさまで、一昨年(2024)で、
ちょうど創業140周年を迎えることができ、現在、私で6代目の社長となります。
高知の石灰産業は歴史が古く、
土佐三白と言われた「漆喰」「生糸」「和紙」の一つとして1600年代から土佐藩の統制によって発展してきました。
創業当時は、当社も建築用漆喰、肥料用消石灰などを製造販売しておりましたが、
全国で競合製品が多くなるのに伴い、昭和50年頃から、思い切って高付加価値製品への転換を図り、現在に至ります。
最近では海外への進出も果たし、ベトナムと韓国とに、それぞれ現地パートナーとのジョイントベンチャーの会社を設立。
社長就任当時は、わずか数%だった海外の売上比率は、いまでは30%を超えるほどになりました。
運命の本『修身教授録』との出逢い
んな中、救いを書物に求めた私は、帰宅後夜遅くまでいろいろな本を読み漁りました。そこで、運命の本、森信三先生の『修身教授録』に出逢ったのです。森先生の言葉を心に刻み込むようにして本を読み終えた私は、胸に溜まっていたアクのようなものがスッと抜けたような気持ちとなりました。そんな時、本の中に挟まっていた案内チラシで月刊誌『致知』のことを知ることとなったのです。その後、社内木鶏体験会が愛媛で開催された時のことです。藤尾秀昭社長の講話も行われ、その中で、人が本物の人となるためには、「人間学」と「時務学」の両方を学ぶことが必要だというお話をされていました。人は、人としての在り方と、知識・技能との両方を学ぶことが大事である、と。その言葉を聞いて、「目指すことは、これだ!」とストンと腹に落ちました。
社内木鶏会を始めた最大の理由は、何とか社内に共通の価値観を根づかせることができないだろうかと考えたからです。その価値観は人間学から学んだものとしたいと強く思っていましたので、『致知』は最適な教材でした。
価値観を共有できる社風を築きたい
社内木鶏会を始めた最大の理由は、何とか社内に共通の価値観を根づかせることができないだろうかと考えたからです。
その価値観は人間学から学んだものとしたいと強く思っていましたので、『致知』は最適な教材でした。
各界を代表する方の記事もあれば、重い障碍を負いながらも、
人生を切り拓いてこられた方の、涙が出そうになる記事などを読み、毎回、感動と勇気をもらっていたからです。
しかし、社内木鶏会を始めた頃は、社員の目は疑心暗鬼に満ちていたように思います。
また何かやらされる……と。
当時、特に工場の社員は中途採用の者が多く、
価値観はバラバラ、何か新しい仕事を頼めばすぐに賃金の話となるような始末でした。
しかし、その根っこには、事務所の社員と工場の社員との間に、賃金体系や退職金規定の格差があったのです。
「私は木鶏会を、何があっても絶対に休まない」という覚悟
そんな中での社内木鶏会導入でしたので、すんなりと始まる訳がありません。
第1回目に提出された感想文には、
「記事は二行しか読んでいません。頭がクラクラしてもう読めません」
「人は人、自分は自分。人の事は関係ありません」
など、予期はしていたものの、いざ実際に目にすると、さすがに心が折れそうになる内容ばかりでした。
やはりやるべきではなかったのか。やめたほうがいいのか。
そんな心の声が何度も聞こえてきました。
しかし、この社内木鶏会は、社員が幸せになるために始めたものです。
その想いから、第2回目の締め括りに、
「私は木鶏会を、何があっても絶対に休まない。
だから、皆さんもしっかりとやってほしい。
私は、『灰屋に〝でも〟雇ってもらえばいい』と言われるような会社に、絶対にしたくない。
皆が、そんな目で見られるのが我慢できないんだ。
十歩二十歩進んで後ろを振り返っても、景色はさほど変わらないけれど、
千歩二千歩進んで振り返ると景色は必ず変わっているはず。十年後を信じてやってみよう!」
と皆の前で宣言したのです。
美点凝視の力、恐るべし
さらに、社内木鶏会を始めて三年が経った頃だったでしょうか。
社内の雰囲気が変わってきたことに気づきました。
工場を回っていると、社員から声を掛けられることが増えました。社内の雰囲気も、ふんわり明るくなったように感じました。
私はその理由を考えてみました。
ふと気づいたのは、美点凝視をすることで、社員が互いの良さを認め合い、
互いを思いやる気持ちが生まれてきたからだということでした。
しかし、よくよく考えてみると、一番変わったのは、私自身でした。
さらに、社内木鶏会を始めて三年が経った頃だったでしょうか。
社内の雰囲気が変わってきたことに気づきました。
工場を回っていると、社員から声を掛けられることが増えました。社内の雰囲気も、ふんわり明るくなったように感じました。
私はその理由を考えてみました。
ふと気づいたのは、美点凝視をすることで、社員が互いの良さを認め合い、
互いを思いやる気持ちが生まれてきたからだということでした。
しかし、よくよく考えてみると、一番変わったのは、私自身でした。
社長になったばかりの頃、私は孤独でした。
自分の弱さを見せるのが怖くて、誰にも相談できずにいました。
常に自分の力だけで問題を乗り越えようとしていたのです。
そんな私が、社員に美点凝視してもらううちに、
「皆は、私の良さを分かってくれている。
だから、これからは、もっと自分らしい経営をしていこう」と思えるようになったのです。
以来、自分の苦手なことや心配事を、気軽に社員に相談できるようになりました。
美点凝視の力、恐るべしです。
美点凝視の力はそれだけにとどまりません。
以降の記事は小冊子限定です。
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