対象号:『致知』3月号 特集「一心万変に応ず」

菊池 明 様

私は、數土文夫氏、鈴木秀子氏、横田南嶺氏の鼎談の「心の力をいかに高めるか」を読んだ感想を発表したいと思います。
 お三人の先生方が話されたことを引用してみると、今日のような変化の激しい社会の中で、心の力を高めるためには、どんな状況でも心の持ち方次第で道は見えてくるものであること。そして、どんなことでも強く思えば、現実となって実現していくということ。『致知』には、先人の生き方、英知、不透明な時代を生き抜くヒント、道標等が幅広く示されているということ。何事も大切なのは、継続し、途中で中断しないことである。
 現在の日本社会の在り方への 憂いがわかるが、もう一度立ち上がる気概を持たなくてはならない。
 昨年は人間同士の絆、人間を超える大きな存在との絆を深めるのとは反対のいろいろな出来事が起き、ある意味でこれからの日本人が心掛けるべき大切なことを示唆してくれたのではないか。最高のものと最底辺のものの両方を見て、広い視野を培い、自分でしっかりとバランスをとりながら調和をもたらしていくことは私たちに与えられた課題ではないか。
 結局、頼れるのは自分だけである。不屈の精神の大切さ、今の時代の変化にどう対応したらいいかということをプラス思考で行くことである。弱腰・逃げ腰では駄目であり、独立自尊の精神が必要である。また、ささやかなことでも誰かが喜ぶことを自分から積極的に始めていくことの大切さ。そのような心の習慣を持つことである。
 優しさとは一見弱く見えるようでその中に強さが秘められている。
 「一心万変に応ず」とは、どのように時代が変化しようとも変わらないものがあると自覚することかもしれない。そういう中で『致知』は、生きる目的をはっきりと 示してくれている。自分とは全く違う人生を歩んだ方のお話が聞ける。『致知』は月に一回我に返る時間を与えてくれる。こうありたいと思っていたものに出会うことができるのは月刊誌だからこそである。『致知』は人間学という変わらぬ指針をずっとぶれずに貫いてきた。これから『致知』で、どのような人物に出会えるかがとても楽しみである。


対象号:『致知』3月号 特集「一心万変に応ず」

白井 真理子 様

 大人達は僕/私の事が大好き・・・この絶対的な確信の中でパキスタンの子供達は成長する。
何かを壊してしまっても、ソファーを泥だらけの靴で汚しても、大声で泣きわめいても、周囲の大人達は「それが子供の仕事だものね」とニコニコと後片付けをしてくれる。乳児期は、どこに行ってもあらゆる大人達が抱っこしてくれ、足が地面につく暇もない。
 そんな風に育つと我儘な大人になるのではないかと危惧するかもしれないが、こうしてベタベタに甘やかされた子供が10歳にもなると、幼い子供達の世話をかいがいしく焼き、今度は「いいんだよ」と小さい子供達の粗相をフォローするようになる。思春期真っ盛りの青年が赤ん坊の相手をしている姿も珍しくない。幕末から明治期に日本にやってきた欧米人達が「日本は子供の天国だ」と称したその姿が、パキスタンには現代も息づいている。
 育児も決して親だけの役割ではない。親類が当たり前のように手を貸すし、地域での助け合いも健在だ。職場に子供を連れてくれば大歓迎され、子供のお迎えや通院の為に仕事を早退するというのは、組織規模にもよるが、わざわざ社内規定として定めるまでもなく承認事項だ。都市部ではワーキングマザーも多い。使用人が安価に雇えるため、子育てを使用人任せにしている親も時折見かけるが、少なくとも大人の庇護の下で子供が育つという意味では大きな救いがある。
 不登校、ひきこもり、いじめ、ヤングケアラー、拒食症、自殺・・・このような課題を耳にすることは皆無に等しい。他方で路上生活をしている子供達も存在しており「子供の天国」と言い切ることは出来ないだろう。しかしながら開発途上国が故に国の制度としての子供を守る仕組みがないかわりに、国民は自分の目の届く範囲の子供達を決して見捨てたりはしない。子供を育てるのは大人全体の責任だというコンセンサスがある。
  子供達は大人に対して信頼のこもったまっすぐな目を向けてくる。それは拒絶される怖れを知らない目である。日本人にとって、かつて当たり前であったであろうその環境を取り戻す為には行政や専門家の知見に頼るだけでなく、私達ひとりひとりが自分の出来ることから始めることが肝要だ。

対象号:『致知』2月号 特集「積善の家に余慶あり」

綱澤 武吉 様

 総リードに今月号の特集「積善の家に余慶あり」について、孫右衛門の話で、積善、積不善によって禍福吉凶が生じることが具体的に分かり易く説明されていました。この話の中で「徳をもって報いん」と「分に応じた商売に専心」することが大切だとも書かれ「徳」つまり十四の心(八正道と六波羅蜜)を「分」つまり自分の力量の度合いに応じて行うことが「積善」に繋がる。と解釈し「四百年の歴は伝統と革新にあり」に最も感動しました。
 先ず「先祖の積善、陰徳によって助けていただいた」とある通り、自分が今この世に居るのはご先祖様の御陰です。また先哲の方々の叡智の賜物で物心両面の充実した今があります。自分の直接の御先祖のみならず、先哲の方々を尊く敬い、感謝することこそが積善のベースとなる。ちなみに私は毎朝この心持で、家内と二人、仏壇に手を合わせ神棚の神様を拝んでいます。
 次に、人間は一人では生きていける訳も無く人の間で生きて居ます。ここでは「得意先、取引先、従業員、お客様、地域の皆様…」とあり、自分の周りの人達と共に生きて居ることを思い、利他の思いを貫く。その覚悟を決め、一つ一つ積み重ねる。とあり、更に「商人道十訓」を実践することであり、その中でも最後の「商人の売買するは天下の相なり」を実践し、企業は公器であり真の意味で消費者の益となるサービスを通じて、社会に貢献することを第一とする。とありました。ちなみに、私の勤めている会社の理念は「事業活動を通じて社会に貢献すること」です。
 最後に、子孫に何を残すか。積善を残すのですが、ここでは「文化」と表現されていました。子孫繁栄のためには「豊かな文化」がやっぱり大事であり、今を生きる私達は良い文化を伝承し、時代に合わせて進化・向上させることが大切であり、このためにも「本心良心に照らし、目の前にあることを一つ一つ大切に行動」することこそが「積善」そのものだと感じました。


対象号:『致知』2月号 特集「積善の家に余慶あり」

田中 有子 様

何が国を豊かにするのか、対談の深さに私もうなずいたところです。
桜井よしこさんが今回のテーマ「積善の家に余慶あり」から積善の国に余慶ありととらえることも国力向上の一助をなすのではなかろうかといったことをおっしゃっていました。
私もその通りだと思います。積善の家・積善の国、ととらえてもいいしもちろん小さな単位積善の人・積善の部署・積善のチームと置き換えても得られるものの大きさがあります。
良き行いの波及効果については確かに日本人の視点とはまた少し違うのかもしれませんが、言葉の意味としては国を超えてもアリ!と思います。
余慶とは様々な解釈があろうと思います。
私の解釈で行きますと、私は余慶だらけです。
先祖が何かやらかしたかはわかりませんが、とにかく余慶というものに恵まれています。
ありがたいことに大きなトラブルなくだいたい健康にここまで生きてきたこと・つらいことがあっても乗り越えられるだけの体力と集中力があったこと・家族や職場の皆さんに恵まれて毎日会社と自宅を往復できること・初詣に行ったとき願い事が浮かばなくて「来年も元気にあいさつ来ます」と神様に宣言できること・特別なことはないけども聞かれたら「おおむね幸せ」と言えること・へこたれても愚痴めいたことを言っても誰かが私を慰めてくれること。
これらを余慶とするならば私は5代目くらいの先祖まで深々と頭を下げ続け、あの世へ行っても父と母とそのまた父と母、5代目までさかのぼると最低32人のご先祖にサンキュー・サンキューと言って回らねばならないことになります。
話は戻りまして、何が国を豊かにするのか、それは私の中にも解答はありません。
しかし積善の連続はもしかしたらどこかに答えがあるのかもしれないし、それらを探したり追い求め実行していくのが現代人の役割なのかなとか考えたりしました。
ご清聴ありがとうございました。

対象号:『致知』2023年1月号 特集「遂げずばやまじ」

加藤 幸雄 様

 “遂げずばやまじ”私は、この言葉を初めて目にしました。そして、この言葉の意味するところは特集リードを読み、併せて本誌「大槻玄沢の歩いた道」を読んで初めて言葉の起源や本来の意味を知りました。
 そして1月号の各記事を読んでみて、この言葉には登場された方々の行動の支えとなった面が多くあったんだと感じました。
この言葉を座右の銘として行動した方、この言葉によって自分を奮い立たせ一途に事を為すための努力をされた方々が居られるのは事実です。確かに“良い言葉”でありますが、この特集記事を読み終えてみて、人間学を学ぶ上でもっと深い何かがあると新鮮な気持ちで気付いた私でした。
 致知1月号に登場された方も、これまでの致知に登場の方々も、皆この言葉の思いを心に秘めて行動されたのだと感じると共に、次の思いが降って湧いて来たのです。『すべての人間はこの“遂げずばやまじ”の思いを心の中に自然と宿しているのではないか?』ということです。若者も、壮年者も、経験豊かな熟年者も、皆がこの思いをもってその人の人生を歩んでいるのではないか。
そして、私自身も成功者ではないが、自分の命を終えるまで一途に悔いることない人生を全うし、死というゴールまで歩み続けたいと思っています。正にこの思いがこの言葉“遂げずばやまじ”に通じるのではないかと確信したのです。
 加えて、とかく高齢になると、今の世代の若者は忍耐力とか諦めない心が希薄になってきているのではないかと懸念もしますが、本誌の登場の安倍 詩 柔道選手、僻地で闘える医師を育てる齋藤 学氏、帝京大ラグビー部監督の岩出雅之氏、時代は遡るが齢30才で人生を蘭学に捧げると決心した大槻玄沢をはじめとする先哲等、全ての方が人生経験が豊で、長年の努力をされてきたからでは無く、心の中に眠っていた“遂げずばやまじ”の精神が湧き出てきたのだと思います。
 皆さん一様に、感謝の心を持っており、併せて素直さが備わっています。また、良き師との出会い、友や協力者の支援などを得る縁があったからこそではないでしょうか。
老いも若きも隔てなく、心の奥に潜在する“遂げずばやまじの”精神を、どの様にしたら、その人自身で湧き上げてもらえるかが重要なポイントであると考えます。


対象号:『致知』2023年2月号 特集「遂げずばやまじ」

村上 剛 様

先月号は稲盛さんの特集であったため、今月号は他の方の記事かと思いきや、やはり稲盛さんの記事が一番目に留まった。その中で心に留まったのは次の3つであった。

1.リーダーは行動で示す
 社長になった大西さんは社長を務めた3年間、休んだのは5日だけで、残り1900日はとにかく現場を回って、JALフィロソフィの浸透をしておられた。記事では社長室の絨毯の上で寝ていたという話もあり、とても驚いた。若い時ならまだしも社長になられてからのハードワーク。まさにこれが稲盛さんが言われる「誰にも負けない努力」かと感じた。大西さんの行動の背景には、稲盛さんがどんどん現場に入ってフィロソフィを説かれていった背中がそうさせていたとあった。やはりリーダーは行動で示すことだと感じ入った。

2.熱意が心を動かす
大西さんはリストラされた16,000人の方に一人ひとり手書の手紙を送られたことには驚いた。その背景には、退職を言い渡したときの「分かった。自分が引かないとだめなんだね。頑張って会社だけは残してくれ」という言葉があったようで、大変とか辛いとかという感情がゼロという話があり、先ほどの行動の源には、熱意があったのだと理解した。このような思いのつながりが、JALフィロソフィの進展を可能なものとしたのだと感じた。

3.リーダーには特性が求められる
  最後の方で「謙虚は魔除け」「リーダーが周囲の人を惹きつけていく人間性、徳性を磨き高めていく以外にはない」「大義が必要」などリーダーには特性が求められる話があった。リーダーが変わらなければ組織は変わらない、だから最初にリーダー合宿を行ったという話もあり、人を惹きつけるリーダーが生まれたからこそ、JALの再生が実現したのだろうと感じた。

稲盛さんが言う、人生の方程式:考え方×熱意×能力。能力が行動力、熱意、徳性が考え方、リーダーがこの人生の方程式をまさに実践したのがJAL再生であった。
稲盛さんの考えの理解が深まるとともに、自分も現在の組織で実践していきたい。

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