『二宮翁夜話』とは?

二宮尊徳の門人・福住正兄が、師の身辺で暮らした4年間に書き留めた《如是我聞録》を整理し、尊徳の言行を記した書。1884~87年正編5巻刊行。正編には233話、続編(1928)には48話を収める。尊徳の自然、人生、歴史観ならびに報徳思想の実体が、平易に、私心を交えず伝えられた、尊徳の全貌を知るための手引書。

福住正兄・原著、佐々井典比古・訳注
定価=本体2,800円+税

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二宮尊徳語録

尊徳から影響を受けた著名人たち

○森信三(哲学者)
「古来尊徳翁ほどに微賎な身分から身を起こして、一般の庶民大衆にも近付きやすい大道を示された偉人は、比類がないと言ってもよい。『二宮翁夜話』は、ある意味ではわれわれ日本国民の『論語』と言ってよいかとさえ思うほどです」(『修身教授録』より)

○渋沢栄一
「私は、あくまでも尊徳先生の残された四ヵ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを願うのである」

○安田善次郎(安田財閥の創始者)
「私の資産を作った一大原因は『分限を守る』という決心を固く実行したためである(略)尊徳翁の教えにも分限論はよほど懇切に説いてある」

○豊田佐吉(豊田自動織機創業者、トヨタ自動車の源流をつくった人物)
豊田佐吉の没後六年目、一九三五年に「豊田綱領」が定められた。その第一項は「上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし」と、全社を挙げて至誠をもって勤労し、利益を上げることで社会に報いることを掲げている。

○御木本幸吉(ミキモト創業者、世界の真珠王)
真珠の養殖に成功し、ミキモトの創業者として世界の真珠王となる。二十歳の時に上京して、二宮尊徳の話を聞いて感銘を受け、尊徳の教えで事業に取り組む。伊勢の真珠島には「海の二宮尊徳たらん」と書き記されている。

○土光敏夫
「尊徳先生は、至誠を本とし、勤労を主とし、分度を体とし、推譲を用とする、報徳実践の道を唱えられ、実行に移されたのでありますが、その手法は極めて科学的であり、経済の論理にかなうものでありました」
(報徳博物館の建設に当たって、その賛助会会長の任を引き受けたときに)

○松下幸之助(PANASONIC創業者)
「悲観的に見ますと、心がしぼみ絶望へと通じてしまいます。しかし、楽観的に見るなら、心が躍動し、さまざまな知恵や才覚がわいてくる、ということを尊徳翁は言いたかったのでしょう。ぼくもその通りだと思います」
(『PHP』 昭和60年12月号)

○稲盛和夫(京セラ名誉会長)
「汗にまみれ、泥にまみれて働きつづけた『田畑での精進』が、自分も意識しないうちに、おのずと彼の内面を深く耕し、人を陶冶し、心を研磨して、魂を高い次元へと練り上げていったのです」(『生き方』より)

○武者小路実篤(作家)
「尊徳のことをまるで知らない人が日本人にあつたら、日本人の恥だと思ふ」

○佐久間貞一(大日本印刷の前身 秀英社創立)
○荘田平五郎(三菱財閥の推進者)
○伊庭貞剛(住友財閥の総理事)
○鈴木馬左也(伊庭の後継者)
○早川千吉郎(三井財閥の形成 中央報徳会の理事長)
○小倉正恒(住友の総理事)
○大原孫三郎(倉敷紡績、大原美術館、孤児院、病院等を建設)
○畠山一清(ポンプメーカー荏原製作所)
○河本春男(バウムクーヘンのユーハイム社)
○塚越寛(かんてんぱぱの伊那食品工業)


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福住正兄・原著、佐々井典比古・訳注
定価=本体2,800円+税

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目次

収録内容


二宮尊徳とは

1787~1856年。江戸時代末期の農民思想家。通称、金次郎。14歳のとき父を、16歳のとき母を失い、田畑は酒匂 川の洪水によって流失して伯父の家に寄食。苦学して一家を再興し、田畑約4町歩をもつ地主となった。旧主小田原藩家老服部家の家政改革を託され、その手腕を認められて、小田原城主・大久保忠真から模範篤農家として表彰される。さらに小田原藩領下野桜町、駿河、相模、伊豆の3国、常陸国真壁、芳賀両郡、幕府の日光神領900ヵ村などの復興に従事。600以上の村々を甦らせた。その思想や生き方は、豊田佐吉、安田善次郎、御木本幸吉、松下幸之助、土光敏夫、稲盛和夫など、大事業家たちに多大な影響を与えている。

著者・訳者プロフィール

〈原著者略歴〉
福住正兄――ふくずみ・まさえ
1824-1892 江戸後期~明治時代の農政家。二宮尊徳の門人。文政7年相模に生まれる。箱根湯本の旅館福住楼の養子となり、師の報徳思想で家業を再興。小田原藩校集成館で国学を教え、報徳社を設立して報徳運動を指導した。明治25年没。本姓は大沢。通称は九蔵。号は蛙園、福翁。著作に『富国捷径』など。

〈訳者略歴〉
佐々井典比古(ささい・のりひこ)
1917-2009 大正6年佐々井信太郎の長男として小田原に生まれる。昭和16年東京帝国大学法学部卒業。17年内務省採用、間もなく応召。神奈川県研修室長、人事課長、労働部長、総務部長、副知事、神奈川県内広域水道企業団企業長を歴任。58年より報徳博物館長・一円融合会、財団法人報徳福運社・財団法人大倉精神文化研究所各理事長を歴任。平成21年没。父・信太郎は『二宮尊徳全集』を編纂した著名な二宮尊徳研究家