「一流と二流の生き方」より
刀鍛冶・政宗に見る一流の流儀
(2020/11/30までの限定公開)

人格の香り

マサムネの話から始めます。と言っても、戦国時代の武将伊達政宗のことではありません。鎌倉時代末期の有名な刀鍛冶、正宗のことです。

正宗には一人娘がいました。名はたがね。正宗はたがねが年頃になったら、弟子たちの中から一番優れた刀を鍛えた者を婿に取り、跡を継がせようと考えていました。そのときがきました。テストを重ね、最後に二人が残りました。村正と貞宗です。正宗はこの二人に勝負をさせることにしました。

二人は懸命に刀を鍛え、師匠のところに持っていきました。正宗は屋敷の中を流れる小川に、二人が鍛えた刀を垂直に立て、上流から藁を流しました。すると、藁は村正の刀に吸い寄せられるように寄っていき、刃に触れるか触れないかの間にスパッと斬れました。貞宗の刀にも藁が流れていき、引っかかりました。しかし、引っかかったままで斬れません。正宗が貞宗の刀を流れからスウッと引き上げました。すると、引っかかっていた藁がはじめて斬れて流れていきました。

村正は「勝った」と思いました。たがねと結婚し、師匠の跡を継ぐのは自分だと思いました。だが、正宗の判定は意外でした。貞宗が鍛えた刀のほうが優れていると評価したのです。たがねと結婚し、正宗の跡を継いだのは貞宗でした。

 

その後日談。村正はこの判定に腹を立て、師匠のもとを出奔して、全国各地をめぐって刀を作るようになります。村正の刀は鞘を払って見つめていると、何となく人を斬りたくなる。辻斬りなどがしたくなる。そういう妖気をはらんでいるために、それを持つ人間を次々と不幸に陥れました。そのため、村正の刀は妖刀と評判になり、それを持つ人はお祓いをして妖気を鎮めるのが習わしになったということです。

これは実に味わい深い話です。正宗はなぜ、貞宗の刀に軍配をあげたのか。村正の刀は斬ろうとしなくとも斬ってしまう。貞宗の刀は斬ろうという意思を働かさなければ斬れない。斬ろうとしてはじめて斬れる。これこそ武士の持つ刀である、と正宗は考えたのです。

なぜなら、武士は人を斬るために刀を持つのではありません。天下国家を治めるために持つのです。斬ろうとすれば斬れるが、斬ろうとしなければ斬れない。天下国家を治める人間が持つ刀はそういうものでなければならない。村正の刀は斬れ味は鋭い。斬ろうとしなくとも斬ってしまう。だが、そういう妖刀は武士が持つべき刀ではない、というわけです。

村正も貞宗も刀鍛冶としての腕前は第一級です。一流と言っていいでしょう。だが、村正の刀は技術的な能力の冴えだけで鍛えられています。それに対して貞宗の刀は人間の意思が働いてはじめて斬れ味を発揮します。いわば技術的な能力に人格の香りといったものが加わっているのです。人格の香り。これが同じ一流とはいっても、二人の刀の優劣の差になったのでした。そして、技術的能力だけでなく、人格の香りという微妙な価値を評価する哲学を備えていた正宗こそ、一流中の一流と言うべきでしょう。

(中略)


いかに生き、何をなしたか

もちろん、ある人間が一流であるとか二流であるとかは、自分で決めることではありません。他の人間がその人の生き方を見て、そのように判定することです。一流とか二流とかも一種の価値ですから、自分の価値は他人が決めるという価値評価の原則が、ここでも働くわけです。

 先に、本物の人間であることは一流二流の前提であると述べました。しかし、その人が本物であるか偽物であるかの判定よりも、一流二流の判定は複雑です。

 たとえば、前に述べた刀鍛治の場合を見てみましょう。妖刀を鍛える村正の技術的な能力の冴えは、師匠の跡を継いだ貞宗はもちろん、師匠の正宗さえしのぐものがあったと思われます。刀鍛治としては村正は掛け値なしの一流です。だが、惜しむらくは村正の鍛える刀には、人格の香りがありませんでした。

それは村正の人間性の反映でもあります。彼に不完全性の自覚から滲み出る謙虚さがなかったとは言いません。刀を鍛える自分の腕前に至らぬところがあると感じたからこそ、正宗を師匠として研鐙の日々を過ごしたのでしょうから。だが、希薄だったとは言えそうです。だからこそ、貞宗に軍配をあげた師匠に腹を立て、出奔して各地をめぐりながら妖刀を作りだすような境涯に入ってしまったのだと思われます。

また、村正はより以上を目指して生きていました。むしろ、より以上を目指して生きようとする姿勢は、他より強烈であったと言えるかもしれません。しかし、村正のより以上を目指す生き方は、はなはだしく能力に偏していました。人間性の面でより以上を目指す意志にはまったく欠けていました。

こう見てくると、人間としての村正は二流どころか、三流四流と言ってもいいように思われます。しかし、名刀とうたわれる村正の鍛えた刀そのものを問題にすれば、村正は決して三流四流ではない。いや、二流であると言うのさえためらわれます。やはり、村正は一流であるというのが正当なのではないでしょうか。



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