90歳のフットボールジャーナリスト


きょうは体育の日です

そこで本日は、今年1月に
日本人で初めてFIFA会長賞
受賞されたフットボールジャーナリスト
賀川浩さんをご紹介します!

若い頃はサッカー選手として活躍され賀川さん
本日は、サンケイスポーツの記者時代
エピソードにスポットをあてます

 

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「サッカーが導いた天職への道」
                  
        賀川 浩(フットボールジャーナリスト)
         

 

        
『致知』2015年11月号

         連載「生涯現役」より

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先輩には素晴らしい方がたくさんいて、
例えば僕が入社当時に木村象雷(しょうらい)という、
後の『サンケイスポーツ』初代編集長から教えられたことは、
記者としてずっと心に留めてきました。
――それはどんなことですか。
一つは中学二年生が読んでも分かるような
やさしい文章を心掛けなさいということ。
その人の面前で言えないようなことは
書かんほうがいいとも言っていました。
その代わり面前で言える悪口なら構わないと。
それから新聞記者は公平であるべきだと。
常に新しいことを考えるようにとも言われました。
そのおかげで僕は原稿を書く時には、
書き出しを考えるだけでもすごく時間がかかります。
もっとも、結局はだいたい一緒になるけど(笑)。
僕のライバル記者で親友でもあった北川貞二郎さんが、
相撲の大阪場所ができた時に
「熱戦一番」というのを書いています。
それまで相撲の記事というと、取組の経過、
それに親方のコメントなんかが
バラバラに載っていたのですが、
彼は相撲部屋でいろんな情報を仕込んで、
その日一番面白かった取組を
ストーリー仕立ての記事にしたんですよ。
これがものすごく読まれました。
――新しい試みが見事に実を結んだわけですね。
僕は登山の担当をしている時に10回くらいの連載で
「山ある記」というのを紀行形式で書いた時に、
木村さんが「これは面白いな」と言ってくれましてね。
読者にも好評だったので、後にサッカーマガジンに
「ワールドカップの旅」を連載する時にも、
紀行形式でワールドカップについて書くようなこともしました。
こうした取り組みは産経の運動部の伝統でね。
運動部の向こう側にあった文化部のデスクには
福田定一(司馬遼太郎)さんもいましたから、
当時は編集局全体になかなかの熱気がありました。
――これまでのことを振り返って、
  一つの道を歩み続ける上で
  どんなことが大切だと思われますか。
僕はね、生来怠け者だからというのもありますけど、
やはり大切なことは続けることですね。
それからこれはいつも思うことですが……



※この続きは最新号P96~をご覧ください!



※1941年夏、神戸一中が兵庫県中学校大会で優勝。
  賀川氏はこの大会(4試合)で6点を入れた(写真上)

 


  最新号のテーマは
   「遠慮ー―遠きを慮る」
   

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