名伯楽・髙嶋仁元監督が語った、智辯和歌山高校野球部の原点

全国の強豪校がしのぎを削り、球児たちが熱い戦いを繰り広げる甲子園は、見る人に多くの勇気と感動を与えてくれます。WEB chichiではこの開催期間、月刊『致知』バックナンバーから、甲子園出場校の強さの秘密に迫ります。今回ご紹介するのは智辯和歌山高校。その厳しい指導でチーム一から鍛え上げた名伯楽・髙嶋仁元監督にお話を伺いました。

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🔥名将に学ぶリーダーシップ🏟🔥
時代が変わっても、観る者の心を熱くし続ける甲子園大会。球児たちの汗と涙、監督たちとそこに至るまでの道のりが、感動をより一層大きくしてくれます。
これまで月刊『致知』にご登場いただいた〝名将〟の指導論、知られざる有名選手のエピソードをまとめました。

「智辯といったら奈良やろう」からのスタート

(前略)

――和歌山では一からチームをつくられた。

〈髙嶋〉
ホントに一からですよね。

54年には異動の内示が出ていて、理事長から「(和歌山の練習を)遠くから見ておけ」と言われていたので、月に1回くらい練習を見に来ていました。結構いい選手がいたから「これなら楽しみやな」と思っていたのですが、翌年来たらみんな辞めていた。僕の指導が厳しいと聞いて「そんなのが来たら殺されるで」と(笑)。

2、3人残っていた選手に「もう1回、呼んでこい!」と言って、15、6人が集まったかな。そこからスタートです。

――苦心のスタートですね。

〈髙嶋〉
とにかく大変だったですよ。僕が和歌山に来た前年の54年というのは和歌山県立箕島高校が春、夏の甲子園を連破した年なんです。一方、自分のところはキャッチボールもまともにできない。体力づくりのトレーニングをやったら、みんな10分間でへたってしまう。

いやあ、えらいところに来たな。これは甲子園に出るのに20年かかるなと思いました(笑)。

――実際にはどれくらい?

〈髙嶋〉
丸6年ですか。20年かかるところをなんとか短縮しようと2つ方法を考えたんです。

一つは「教えるよりも感じさせる」ということ。このくらいのレベルの選手にいくら技術を教えても消化吸収できないだろう、それなら自分の肌で感じさせたほうが早いなと思ったんです。要は強いところとゲームをやって、こてんぱんにやられれば、何かを感じるだろうと。

ところが県内の強い高校はどこも相手をしてくれない。「智辯といったら奈良やろう。和歌山にもあるの?」という返事でね。

「覚えとけよ、何年かしてうちが強くなった時に練習試合を申し込んできても断ったるからな」という気持ちです(笑)。

それで和歌山の学校は諦めて、奈良の頃に付き合いのあった四国の学校に電話をしました。まず徳島の強豪・池田高校の蔦監督に電話をしたら「すぐに来い」と。

でも、練習試合をしたら案の定ボロ負けです。もうね、30何点とられるんですよ(笑)。

――選手はショックでしたでしょうね。

〈髙嶋〉
和歌山に帰ってくるまで3時間くらいかかるんですが、何人かは途中で悔し泣きしていました。「なんで同じ高校生でこんなんなるねん?」と。その姿を見た時に、「あっ、これで甲子園は行けるな」と思いました。

ボロボロに負けて帰ってきた次の日にミーティングをしたんです。そこで「ホームランを打つにはこういうトレーニングが必要や」「速いボールを打つにはこういうトレーニングをせなあかんで」と話すと、あとは放っておいても自主的にやり始める。悔しさを覚えると自分で走り出すものなんです。するとグーンと伸びてくる。

それで1か月たった頃にまた練習試合をやると、今度は取られても10何点です。それでうちも何点か取るから差が縮まってくる。それから1か月練習してまた試合をすると、今度はいい試合になる。2か月ほどでチームはがらっと変わりました。下手とか上手よりも、いかに心の部分が大切かということですね。

――もう一つの方法とは?

〈髙嶋〉
テレビ中継を利用していい選手を集めようと考えました。夏の地方大会はテレビ中継が1回戦からある。だから「なんとかベスト4に入ろう」と。すると4回テレビに映るんです。それを見て「智辯という新しくできた学校は結構やるな」と思ってくれる中学生が絶対におる、と思ったのです。

実際、和歌山大会で3年目にベスト4に入ったら、それを見た子らが翌年入学してきました。そして、その子らが上級生になった時に智辯和歌山で初めて甲子園に出るんですよ。思ったとおりでした。

――甲子園ではすぐに勝てたのですか?

〈髙嶋〉
それが勝てないんです。5回目までは全部1回戦負けです。5回目の時に甲子園のお客さんにこう言われたんですよ。「おお、智辯和歌山よう来たな。また負けに来たんか」と。甲子園のお客さんは厳しいですからね。

その時にハッと気づいたんです。「そうか、俺は甲子園に出る練習はしてきたけれど、甲子園で勝つ練習はしていなかったな」とね。僕の頭の中では「打倒箕島」なんですよ。箕島に勝たないと甲子園に行けないですから、そればかり考えていた。

これではいかんと思って、帰ってから試合のビデオを見直しました。そうしたら勝てるチャンスはいくらでもあるわけです。

そこからもう1回、バッテリーの強化、守備の強化をやり出して、6回目の甲子園で初めて勝ったんです。その時は2つ勝って、次に甲子園に出た時は優勝です。

――それはすごいですね。

〈髙嶋〉
練習量はもともと豊富ですから、何かきっかけが必要だったのでしょうね。

人を育てる工夫

――先生は「甲子園は3年生から優先的にベンチに入れる」と決めておられるそうですね。

〈髙嶋〉
甲子園だけではないですよ。大会が始まったら、まず上級生を入れて、それから下級生を入れる。だからみんな辞めないんです。頑張っていれば、試合に出る出ないは別にして、ベンチには入れますからね。それが甲子園であっても上級生優先です。人数が少ないからこそできることです。

――それも人を育てる工夫ですね。

〈髙嶋〉
そうですね。やはり「3年間頑張ったらベンチに入れる」と分かっていれば、気持ちが切れそうになった時に踏ん張る支えになると思います。

――厳しさの半面、きめ細かな心遣いも必要なのですね。

〈髙嶋〉
高校野球の監督さんは皆そうだと思いますが、世の中に出た時にどう生きていくか、高校野球を通して選手にそれを学んでほしいんです。壁にぶち当たった時に、苦しい練習を乗り切ったという経験を役立ててほしい。挨拶であるとか、責任感であるとか、世の中を生き抜いていく時に必要な術をいろいろ学べますからね。

――例えば勝負に負けない心を育てる方法は何かありますか?

〈髙嶋〉
一つはさっきも言った「悔しさ」を教えてやるということでしょう。もう一つは「プレッシャーに負けない」ということです。プレッシャーに勝たないと自分の力は発揮できません。だから、普段の練習からいかにプレッシャーを与えるかを考えています。

――具体的には何を?

〈髙嶋〉
いろいろありますが、例えば練習試合をやる時に、相手が弱いチームだったらハンディをつけるんです。ハンディ20ならば20対0で勝って何もなし、20対1なら1点マイナス。この1点のマイナスが外野のポール間走100本分ですから(笑)。だから選手にとっては大変なプレッシャーだと思います。


(本記事は月刊『致知』2010年7月号 特集「道をつくる」から一部を抜粋・編集したものです)

◉『致知』2022年9月号の表紙を飾っていただいたのは、工藤公康さん。選手時代、監督時代を通して〈優勝請負人〉の異名をとった、まさにプロフェッショナルです。

 今回、工藤さんが自分の体験に照らして強い感銘を受けたという書籍『7000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀』の著者・高橋幸宏医師(榊原記念病院副院長)と本誌に初登場。

「ひたすら繰り返すこと」「努力と根性」「結果を出すチームはどこが違うのか」等々のテーマについて、自身の人生の歩みを交えて語り合っていただきました。


王貞治氏、稲盛和夫氏、井村雅代氏、鍵山秀三郎氏、松岡修造氏など、各界トップリーダーもご愛読! あなたの人生、仕事、経営を発展に導く珠玉の教えや体験談が満載、月刊『致知』のご購読・詳細はこちら各界リーダーからの推薦コメントはこちら


◇髙嶋 仁(たかしま・ひとし)
昭和21年長崎県生まれ。長崎海星高校時代に2度甲子園に出場。日本体育大学卒業後、47年に奈良・智辯学園高校の野球部監督に就任。55年から智辯学園和歌山高等学校の監督を務める。現在までに甲子園出場29回。うち優勝、準優勝ともに3回を誇る。また通算59勝は甲子園最多勝利数。(以上、掲載当時のまま)

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