孫正義が29年前に語った自らの原点〈前編〉

世界が注目する日本を代表する経営者で、ソフトバンクグループ創業者の孫正義さん。一代で世界的企業を築き上げながらも、いまなお飽くなき挑戦を続ける孫さんの原点には何があったのでしょうか。若き日の貴重なインタビューをご紹介させていただきます。本日は〈前編〉です。

両親からの「英才教育」

――お父さんもたしか経営者だそうですね。お父さんの影響もありますか。

(孫)
父は、福岡で、パチンコ屋とかレストランのチェーンをやっているわけですが、僕が小さいころから、私によく仕事の相談をしたんですよ。

――と、いいますと?

(孫)
僕が小学生ぐらいのときからでしたが、親父にしてみれば、恐らく教育の一環としてやっていたんでしょうね。例えば、レストランを開くときでも、店の名前やメニューについて僕の意見を聴いてくるわけですよ。それに対して僕が何かいうと、「ああ、それはいい。よし、それでいこう」とか言ってね、本当にやるんです(笑)

そんな調子ですから、親父もお袋も、一度も「勉強しろ」なんて言ったことがないんです。ただ、いつも言われたことは、「お前は天才だ」「お前は日本一の男になる」ということなんですよ。それも、4つ、5つの小さい子供のときからですからね。

――ほう、一種の英才教育ですね。

(孫)
そうかもしれませんが、怒られたという記憶もないんです。とにかく、「お前は天才だ」「お前はすごい」というようなことばかり、繰り返しいうわけです。試験の成績がいいと、「やっぱりすごい」と。成績が悪いときには、「お前はやりさえすれば日本で1番だ」と言って、とにかく何をやっても褒めてくれるわけです。

「ああ、そうか。おれはやりさえすれば1番なんだな。たまたまやっていなかったから、成績が悪かったんだ。これは仮の姿なんだ」と思っちゃう(笑)

――お父さんは素晴らしい教育者ですね。

(孫)
ええ、僕が言うのもあれですが、小さいときは、本当にそう信じてましたよ、僕は。最近になってからですね、ああ、あれは親父の手だったんだなということがわかったのはね。

そういうことで、僕自身は、小さいときから事業家になるか、政治家になるか、どっちかだと思っていました。

――夢としてはね。

(孫)
しかし、政治家といっても、日本では政治家として能力を発揮するというのは、若者にはあまりチャンスがありませんし、また、自分の一存でなれるわけじゃなくて、相手が決めるわけですからね。経営者だったら、自分がなりたいと思えば、ある程度、夢はかなえられますからね。

〈後編はこちらから〉

(本記事は『致知』1989年11月号 特集「想いを込める」より一部を抜粋・編集したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載!詳しくはこちら

孫正義(そん・まさよし)

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昭和32年佐賀県鳥栖市生まれ。久留米大学付属高校に入学後、同49年9月米国サラモンテ・ハイスクールへ。同50年9月ホーリーネームズ大学に入学。同52年カリフォルニア大学バークレー校に編入。在学中に「音声装置付き多国語翻訳機」を発明し、㈱シャープとライセンス契約する。同55年同大学卒業。同56年9月㈱日本ソフトバンクを創立。
(※プロフィールは『致知』掲載当時のものです)

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