障害児教育に一生を捧げた曻地三郎先生の生き方

 

戦後の貧しさがまだ尾を引いていた時代、精神・身体障がい児のための学園創設に心を燃やした人がいます。ご自身も2人の脳性小児麻痺の子供を抱えていた曻地三郎さんです。
自分の子供だけでなく、不運な子に一人でも多く光を与えたいと願う氏を支え続けたものは、何だったのでしょうか。曻地さんの生き方が分かる記事の一部を紹介させていただきます。

我が子のための学校をつくろう

ともに脳性小児麻痺の長男と次男。二人は学校に通えず、家の庭にうずくまったまま、うらやましそうに垣根の向こうを通る小中学生を眺めています。この子たちのために学校をつくろう、と私は決心しました。

 資金は私が引き継いだ妻の実家の財産を処分して捻出しました。親類や周りの人たちは猛反対をしましたが、妻だけは賛成してくれていましたので、私の決心は揺るぎませんでした。 

昭和29年4月。「しいのみ学園」の開園式を迎えました。迎え入れたのは、7歳から12歳までの 学校に行けない子どもたちで12人。うち7人はわが子と同じ脳性麻痺でした。 

手足が不自由であるばかりでなく、弱視、難聴、発作と何重もの「苦」を背負っている子供もおりました。こういう不運な子供たちを私はしいの実になぞらえました。山の中に捨てられたしいの実は、落ち葉の下に埋もれて、人や獣に踏みにじられているけれども、温かい水と太陽の光を与えれば必ず芽を出す。「しいのみ学園」という名前は、私のそのような願いを込めて命名されたものです。 

開園を一番喜んだのは、退学を余儀なくされてから、家の中で悶々とした日々を過ごしていた中学生の長男でした。園舎の建設工事が始まってから、開園したら長男を「小使い」にするということを約束していたからです。 

小使になるからには名刺が要るというので、名前と所在地だけの名刺を作ってやると、「肩書がない」といいます。そこで「しいのみ学園 小使 曻地有道」という名刺をつくってやりました。 

開園式には藤井種太郎福岡芸術大学学長、杉本勝次福岡県知事のご臨席を得ましたが、なんと長男は来診の方々を回って名刺交換を始めたのです。 

それを見て、私は胸がいっぱいになりました。医師に見放されて、悄然とした思いで乗った列車の中で、私は二つの願いを立てました。一つは親の愛情で 何としても歩かせてみせる。もう一つは一人前にしてみせる、という思いでした。 

意のままに歩くことはできませんでしたが、笑顔で名刺交換をしている長男を見て、私は一人前になったと感無量の面持ちでした。 

小使さんの仕事は朝の鐘を叩くことでした。最初は入園者が12人だったので、皆に聞こえるようにと12の鐘を叩き23人になると23の鐘を叩きました。自宅から通園している子供が遅刻しそうになると、わざとゆっくり叩くという子供思いの小使さんです。

無給の小使さんに学んだ“幸福”

しかし、この小使さんは無給でした。このことを知った俳優座の岸輝子さんが「日本一の小使さんのお月給を私に出させてください」といわれ、毎月21日にお金の入った励ましの手紙をくださるようになりました。

 そんな中、ある小学校が創立80周年を迎えるのを機に、戦時中に供出されて、台座だけが残されていた二宮金次郎の銅像を復元しようという話が持ち上がりました。4万円かかるということでしたが、当時の私にはそんなお金はありません。残念な思いでいたところに、長男から思いがけない申し出がありました。毎月岸さんから送られてきている月給を寄付しようというのです。 

除幕式の当日、その日はウイークデーだったので、「鐘叩きがあるから行けない」といい張る長男をなだめて岩国へ連れて行きました。 

式の後、墓参を終えて錦帯橋近くの旅館に泊まり、夕食に錦川で捕れた若アユが出ました。アユを食べながら、私は幸福とは何だろうと考えました。 

人間の幸せは、夏の入道雲のように、ある日突然、むくむくと現れてくるのではない。幸福とは、苦しみのふちに游いでいるアユの如きものである。その苦しみのふちが深ければ深いほど、大きなアユがおり、その苦しみのふちが広ければ広いほど、たくさんのアユがいるのだと気づかせていただきました。

 (本記事は月刊『致知』1995年2月号 特集「リズムを創る」より一部抜粋・編集したものです。月刊『致知』には仕事力・人間力を高めるヒントが満載です。詳細はこちらから

 ◇曻地三郎(しょうち・さぶろう)

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しいのみ学園創設者 福岡教育大学名誉教授 健康長寿マイスター

明治39(1906)816日北海道生まれ。広島師範、高等師範を卒業。広島文理科大学で心理学を学び、旧制の文学博士号取得。また九州大学では精神医学を学び、旧制の医学博士号取得。昭和29(1954)48歳のときに日本初の重複障害児教育施設「しいのみ学園」創設。創設当時の様子を記した著書『しいのみ学園』は当時120万部を超えるベストセラーとなり、映画化もされて大ヒットとなる。

同時に自身が実践してきた、脳と体がともに健康で長生きするための習慣を『十大習慣健康法』にまとめ、講演活動を行ない、活動範囲は日本国内にとどまらず、99歳から105歳までに6回の世界一周講演旅行を開催し、106歳を迎える2012年にはギネス世界記録への挑戦となる生涯では8回目の世界一周講演を行なう。2013年に永眠。

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