背広の行商から始めて

仕事論


「AOKI」といえば、
誰もが知る紳士服チェーン店です。

創業者の青木擴憲さんは
長野県でゼロから今日の地歩を
築いてこられました。

本日は創業期の思い出について語られた
部分をご紹介します。


────────[今日の注目の人]───

★ビジネスマンよ、腹中に書を持て★

青木 擴憲
(AOKIホールディングス会長)

※『致知』2016年7月号【最新号】
※特集「腹中書あり」


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私の父親は
長野で米穀商をやっていました。
ところが、戦争中は米が統制になって
商いができなくなり、
戦後、親戚からお金を借りて
質屋をスタートしました。

ですが、もともと
気のいい人間でしたから、
かわいそうな人がやってくると、
損得抜きにお金を貸してしまう。

そんなことを繰り返しているうちに
見事に倒産して、
私が高校二年の時でしたが、
家財道具を
差し押さえられてしまいました。

幸い親戚が借金をして
家だけは買い戻してくれたのですが、
その借金は私がいずれ就職した時に
働いて返すことになっていました。

それで高校卒業と同時に、
行商で質流れの商品を
売り歩くようになりました。

自宅の質流れ品には限界があり、
しばらくして古物商の競りの市場で
商品を調達するようになりました。

市場で手に入る商品には
着物や帯、時計、アクセサリー、
宝石などがありましたが、
私が理解できるのは
せいぜい自分が着ることのできる
スーツやコートくらいでしたから、
それに絞って販売していきました。
 
その頃は文字どおりの自転車操業で、
仕入れたものを
信用金庫の小切手が回ってくる三日間で
必死に売り捌く、
ということの繰り返しでした。

そのうちに
回転する額が少しずつ増え始め、
二十七歳の時に初めて
長野市の篠ノ井駅前に
十二坪の店を構えました。
 
ですが、お店の開店当初は
来てくださっていたお客様も
しばらくするとだんだん減って、
これでいよいよ終わりかなという時に、
思い切って新たに
二店舗を出したのですが、
どちらも上手くはいきませんでした。


※青木さんはこのピンチを
どのように
乗りこえられたのでしょうか。

その苦労の道のりは、『致知』最新号で
詳しく述べられています。