智恵が生んだ「大村方式」

生き方


恵まれた研究環境の
アメリカから急遽日本に
帰ることになった大村智さん。

ここが人生の分かれ道だった
語る大村さんは、どのようにして
ノーベル賞受賞への
道を歩まれたのでしょうか。

───────「今日の注目の人」───

大村 智(北里大学特別栄誉教授)
   
※『致知』2017年6月号【最新号】
※特集「寧静致遠」P10

───────────────────

アメリカの研究環境は
とても素晴らしく、
私はこのままずっと
アメリカにいてもいいなと
思っていましたが、
突如として北里研究所の
水之江公英所長から、
予定を早めて帰って来てくれ
という連絡が入りました。

私の所属していた研究室の
ボスが定年退職するので、
君に後を継いで
もらいたいというのです。

私よりも上の方がたくさん
おられたのでビックリしましたが、
その所長にはお世話に
なっていたので帰らざるを
得なくなりました。


1972年のことです。


当時の日本はまだ発展途上で、
貧乏な日本の研究所に戻れば、
アメリカと同水準の研究を
続けられなくなります。

ただ、私は日本人の頭脳は
素晴らしいと思っていて、
お金さえあれば絶対
大丈夫だと考えていました。

そこで知恵を絞りまして、
向こうの会社に
共同研究の提案をして、
研究資金を出してください
と掛け合ったのです。


私はその資金を使って
日本で研究をする。


成果が出たら御社に
ライセンスを渡すから、
儲かった分から特許料を
払ってくださいと。

これを私の米国の友人は
「大村方式」と名づけました(笑)。


大村さん



留学する時は一番給料の
安いところを選びましたが、
帰る時はティシュラー先生の
勧めもあり、一番たくさんの
研究資金を出してくれる
メルクと契約を結びました。

留学する日本人はたくさんいますが、
このように研究費を確保して
帰って来るなんて人は
恐らくいないでしょう。


まさに人生の
分かれ道だったと思います。


では、研究費の支援を
得て帰って何をやるか。……




※世界で三億人を救った
 画期的な薬を開発した
 大村さんの歩みの続きは
 本誌でお楽しみください。



───────────────────
全国の『致知』読者から届いた声
───────────────────

この本に触れるまでは、
日本人としてなす
べきことは何かを考える
ことは全くありませんでした。

歴史を知り、正しく理解できた時、
初めて社会に尽くす
意義を覚えた気がします。

  ───林田秀文さん/長崎県