昭憲皇太后をご存じですか


明治という激動期に
お后として明治天皇を陰で支え、
医療、福祉、女子教育などの面において
大きな功績を残された昭憲皇太后。

その歩みを語っていただいた
対談記事の一部を紹介します。



───────「今日の注目の人」───

近衛忠煇(日本赤十字社社長)
    ×
西園寺昌美(五井平和財団会長)   



※『致知』2017年6月号【最新号】
※特集「寧静致遠」P64

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【西園寺】 
女性が学びたくとも学べなかった時代、
自由に社会に出ることも
許されなかった時代に、
昭憲さまが歴史に残る活動を
なされたことは大きな驚きです。

これらはすべて
ご自身のご意思によるもので
あったのでしょうか。

【近衛】 
そう思います。
昭憲さまの人生を見ますと、
嘉永二(一八四九)年、
五摂家(近衛家、九條家、二條家、
一條家、鷹司家)の一つ、
一條家の三女として
京都でお生まれになりました。

昭憲皇太后

父親の忠香は教育熱心な方でしたが、
寿栄君(昭憲皇太后の幼名)が
十三歳の時に亡くなります。
母親はもっと早くに
亡くなっていましたので、
幼くしてご両親を失われたのです。

その頃、京都では禁門の変など
血生臭い事件が相次ぎました。
寿栄君も戦火を逃れた経験をお持ちです。
戦争の悲惨さを身近に感じ、
心を痛めていらっしゃったことが
その後のご活動に
繋がっていったのではないか
と私は思います。

【西園寺】 
昭憲さまが発想なさることは、
私たちには到底
想い浮かばないことばかりですが、
そのルーツはご自身の幼い頃からの
ご体験にあったということですね。

【近衛】 
一條家もそうですが、
江戸時代の公家は決して
生活が豊かではなかったんですね。
ですから、
庶民感覚とも乖離することなく、
昭憲さまご自身が
深窓の令嬢というイメージとは
少し違っていらっしゃったのでは
ないでしょうか。
 
明治元(一八六八)年、
十八歳で明治天皇にお輿入れされ、
翌年に東京に
出ていらっしゃるわけですが、
京都では大変な反対運動が起きました。
この時の昭憲さまのご心労は
想像に難くありませんし、

一方で汽車も車もない時代に
十九日間もかけて
東京に向かわれる時は、
各地で民情に触れる機会も
おありになったようです。

東京に住まわれた後も昭憲さまは……



※昭憲皇太后は苦しむ人々を
 慈しまれたばかりであり、
 生き方の指針となる御歌や詩も
 残されています。

 詳しくは最新号をご覧ください。



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全国の『致知』読者から届いた声
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『致知』と出逢う前にも
渡部昇一先生、稲盛和夫先生、
童門冬二先生、村上和雄先生
等々の本を読み、
育てられてまいりました。

私の本棚は『致知』の目次のようです。

『致知』は人生の最後まで成長し、
進化したいと思わせて
くれる珠玉の本です。

  ───鈴木裕子さん/静岡県

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