明治の偉人・福澤諭吉に学ぶ、“本質”の見抜き方

日本人であれば知らない人はいない、幕末・明治の偉人である福澤諭吉。その名を聞いて多くの人がイメージするのは「文明開化論者」「啓蒙思想家」といったリベラルなものだと思います。しかし、福澤諭吉の著作を丹念に読み解けば、旧士族社会の士風を重んじる「ナショナリスト」であり、また、力が支配する国際政治を冷徹に認識する「リアリスト」としての実像が浮かび上がってきます。その福澤諭吉の知られざる実像を拓殖大学学事顧問の渡辺利夫先生に語っていただきました。

どのような国柄の国家をつくるかが大事

自由民権運動が大きな政治的潮流となっていた明治十四年に書かれた『時事小言』の緒言で、福澤は次のように述べています。

「記者(福澤)は固より民権の敵に非ず。その大に欲する所なれども、民権の伸暢は唯国会開設の一挙にして足るべし。而して方今の時勢これを開くことも亦難きに非ず。仮令い難きも開かざるべからざるの理由あり。然りと雖も国会の一挙以て民権の伸暢を企望し、果して之を伸暢し得るに至て、そのこれを伸暢する国柄は如何なるものにして満足すべきや。民権伸暢するを得たり、甚だ愉快にして安堵したらんと雖も、外面より国権を圧制するものあり、甚だ愉快ならず」

もちろん自分は民権論に反対ではないが、民権はただ伸張すればよいというものではない。国会を開設し、どのような「国柄」の国家を建設すべきかという肝心の問題を議論するのでなければ、民権など論じても詮なきことだ。西洋列強による干渉や介入が恒常化しているいま、ただ国会を開設すればよいというほど事態は単純ではない、というのが福澤の主張です。

物事の優先順位、「事の軽重」を怜悧に見極める

さらに緒言はこう続きます。

俚話に、青螺が殻中に収縮して愉快安堵なりと思い、その安心の最中に忽ち殻外の喧嘩異常なるを聞き、窃かに頭を伸ばして四方を窺えば、豈計らんや身は既にその殻と共に魚市の俎上に在りと云うことあり。国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可ならんや

国家とは生身の青螺の殻のようなものであり、殻が外敵に壊されてしまえば、そもそも国民の生命や財産の守護などできない。近年の厳しい国際情勢の中で、その現実を直視することなく、民権と国会開設について騒いでいるだけでは国家の存立自体が危うい。青螺の比喩を巧みに用いて、そう福澤は警鐘を鳴らしているのです。

そのように、実際の福澤は、自由民権論者というよりも国権論者に近く、現実に即して物事の優先順位、「事の軽重」を怜悧に見極めていく徹底したリアリストであったといってよいでしょう。

現在の日本も、中国の海洋進出や北朝鮮の核開発など、様々な難題に直面していますが、国会やメディアでは、それほど重要とは思えない問題に延々と時間と労力が費やされています。日本にとって一番大事なことは何なのか、いま何をしなければならないのか。特に組織や人の上に立つリーダーには、その「事の軽重」を見極める見識、リアリズムを、いまこそ福澤に学ばなければなりません。

※(本記事は『致知』2017年11月号掲載記事の一部を抜粋したものです)

著者紹介

◇渡辺利夫(わたなべ・としお)

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昭和14年山梨県生まれ。慶應義塾大学卒業後、同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学長、第18代総長などを経て、現職。外務省国際協力有識者会議議長、アジア政経学会理事長なども歴任。JICA国際協力功労賞、外務大臣表彰、第27回正論大賞など受賞多数。著書に『アジアを救った近代日本史講義』(PHP新書)『士魂―福澤諭吉の真実』(海竜社)などがある。

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