日本を国難から救った立役者


山岡鉄舟という人をご存じですか?

学校の教科書に名前こそ出てきませんが、
明治維新を語る上では
決して忘れてはいけない人物です。

その鉄舟にまつわる話の一部を
ご紹介しましょう。

───────「今日の注目の人」───

☆ 山岡鉄舟の歩いた道 ☆

平井 正修(全生庵住職)

※『致知』2017年3月号【最新号】
※特集「艱難汝を玉にす」P30

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勝海舟、高橋泥舟とともに

「幕末の三舟」

と並び称される山岡鉄舟は、
天保七(1836)年、幕臣であった
小野朝右衛門高福の四男として
江戸の本所に生まれました。

幼少期より剣・禅・書の修行に励み
人物を磨いてきた鉄舟は、
凋落著しい幕府の限界を見極め、
速やかに朝廷の命を
奉じて攘夷を成し遂げ、
大政奉還を図るべく
立ち上がりました。


大政奉還後、鉄舟は
新政府東征軍の総攻撃で
江戸が火の海となるのを回避すべく、
十五代将軍徳川慶喜の使者として
勝海舟の手紙を携えて
東征軍の大総督府に乗り込み、
西郷隆盛に徳川慶喜の恭順の意を伝えて
攻撃の中止を訴えます。

これによって
西郷と勝海舟の会談が実現し、
江戸城は戦火を逃れ
無血で明け渡される
ことになったのです。


維新後は新政府に仕え、
10年にわたり
若き明治天皇の侍従を務めた後、
春風館という剣術道場を開いて
人材育成に励み、
明治21(1888)年、
53歳で亡くなりました。

山岡鉄舟写真

こうした足跡を辿ると、
尊王攘夷の立場で
活動していた鉄舟が、
江戸城無血開城に
向けて動いたところに
人生の一大転機があったことが
見て取れます。


ある意味変節とも
取られかねない
この行動の転換に対し、
批判めいたことを
言う人が皆無なことも、
また注目に値します。
 

山岡鉄舟という人は……




※鉄舟は明治維新で
 大きな働きをしたばかりでなく、
 剣、禅、書の道を極めたことでも
 知られています。

 『致知』最新号で、その大人物の
 一端に触れてみてください。