教育は希望を、希望は平和を

 カトリック吉祥寺教会の後藤文雄神父は、自身が戦争で家族を失い、戦災孤児になりかけた体験を胸に、カンボジアの戦災孤児の子供たちを引き取り、14人の子供たちを立派に育て上げました。さらに、途上国への学校建設にも取り組んできました。後藤さんの活動の原点にある体験、思いとは――。

恵まれない人々を救うために一生を捧げる

1929年、私は新潟県長岡のお寺に次男として生まれました。

小学六年生の時に戦争が勃発。1945年の長岡空襲で母、妹、2人の弟、そして家財道具の一切を失いました。母は近くの橋のたもとで、全身火傷を負い半身が泥に浸かった状態で発見され、「仲よく暮らしなさい」と言い残して絶命。3歳の弟は寺の境内で見つかり、重傷を負った5歳の弟は、「おっかちゃん、痛いよう、痛いよう」と叫び続けた末、力尽きました。妹は、誰ともわからない遺骨となって帰ってきました。生き延びた父はと言えば、母が悲惨な死を遂げたばかりだというのに、一年後には再婚を宣言。私は生きる希望も、行き場も失ったのです。そんな私を救ってくれたのが教会でした。

私は小学校の恩師の伝手で、学校の代用教員として働き始めていたのですが、その同僚の妹が私の境遇を知り、「一緒に教会へ行きましょう」と声を掛けてくれたのです。人の愛情に餓えていた私は、教会の方々に温かく迎えていただき、人生をやり直す力を取り戻すことができたのでした。

そして1947年、知人を訪ね東京に出た私は、駅で物乞いをする戦災孤児たちの悲惨な姿を目にするのです。その光景が私の人生を決定付けました。「一歩間違えば、私も彼らと同じ運命を辿っていただろう。生き残った私には、世の中のためにできることがあるはずだ」長岡に戻った私はその思いを教会の司祭に伝え、聖職者として恵まれない人々を救うために一生を捧げようと誓ったのです

子供は皆美しい心を持って生まれてくる

 神父になった後藤さんは、十数人のカンボジアの戦災孤児を引き取り、四苦八苦しながら全員を立派に育て上げます自らの少年期の境遇、無念の死を迎えたであろう戦災孤児たちの姿を、私はカンボジアの子供たちに重ね合わせ、この子たちだけは守り抜こうと、必死に彼らを育ててきたのでした。里子の一人に、祖国の貧しい村々に学校を建てているブンラーという男性がいます。私もNPO法人を作り、彼の団体に資金面の援助をする形で、これまで18校の建設に携わりました。2001年、鮮やかな赤レンガ屋根の学校が建った時、完成式に呼ばれた私は、門柱に日本語でこう刻んだのです。

「教育は希望を 希望は平和を」

子供は本来皆、美しい心、素晴らしい才能を持って生まれてくる。それを曇らせてしまうのはいつも大人たちです。これまで建てた学校から、一人でも多くの子供たちが希望を持って世に飛び立ってくれたなら、どんなに素晴らしいことでしょう。

 

後藤文雄(ごとう・ふみお)

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昭和4年、新潟県長岡市生まれ。旧制長岡中学(現県立長岡高校)、代用教員をへてカトリックの神言神学院、南山大学。35年司祭叙階。56年から平成6年までカンボジア難民の子供14人を里子として育てた。7年、里子の一人と学校建設を始める。17年、自分が死んでも活動が途絶えないようにとNPO法人「AMATAK カンボジアと共に生きる会」設立。18年長岡市の米百俵賞、19年毎日国際交流賞。著書に「よし!学校をつくろう」など。NPOの事務局は東京都武蔵野市の吉祥寺教会内。

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