世界的ピアニスト・辻井伸行の母が語る子育て論

いまや世界的ピアニストとしての地位を不動のものとした辻井伸行さんですが、全盲というハンディを抱えながらも才能を開花させた背景には、母いつ子さんの存在がありました。いつ子さんは、いつどのようにして伸行さんの才能に気づき、それを伸ばしていったのでしょうか。

「この子は音楽を聞き分ける耳を持っている」

(辻井)

(乳児期の)伸行の音楽に対する感性の鋭さに驚かされることがありました。音楽をかけると反応し、特にブーニンが弾く『英雄ポロネーズ』はお気に入りで手足をバタバタさせて喜びます。それはあたかもリズムを取っているかのように見えました。

ある時、そのCDが傷ついてしまい、別の奏者による『英雄ポロネーズ』を買って流しました。するとまったく反応を示さないのです。「あれっ」と思って再びブーニンの曲に変えるとバタバタと体全体で喜びを表現します。

親バカだったのでしょうか、「この子は音楽を聞き分ける耳を持っている」と思いました。そこで、近所のピアノの先生に週1回来ていただくことにしました。とはいっても伸行は1歳半。膝の上に乗せてもらって演奏と歌をおとなしく聴く。それが練習でした。

しばらくすると、電子ピアノを購入し、脚を短くして居間に置きました。軽く指を乗せるだけで音が出る電子ピアノなら、幼い伸行でも楽しめると思ったからです。最初はおもしろ半分音を出していたのが、しばらくすると私の演奏や歌の音を拾って曲として弾けるようになりました。これも後から分かったことですが、この頃、絶対音感が身についたようなのです。

もちろん、主人と私は伸行に英才教育を施そうという気などさらさらありません。少しでも楽しんでもらいたい。この子の自信になるものが一つでもあって欲しい。その一心だったのです。

正式にピアノの練習を始めたのは4歳からでした。幸いだったのはご指導を受けた高校教師の増山真佐子先生が、伸行の好きな曲を、彼の喜ぶ方法で教えてくださったことです。先生は最初、ピアノの基礎とされるバイエルの作品から練習を始められました。しかし「この子は、それでは伸びない」とすぐに方向転換されたのです。

伸行は楽譜が見えません。鋭敏な耳で音を拾い、それを鍵盤で弾いていくのです。増山先生は伸行の手を取り、鍵盤に指を置いて音を確認するという指導を繰り返し続けられました。伸行が6歳になると、私たち一家は埼玉から東京へと引っ越しました。ここから高校3年生まではピアニストの川上昌裕先生にご指導いただきました。川上先生も伸行の性格を見抜かれたのか、決して無理強いはされず、褒めながら才能を伸ばそうとされました。

レパートリーが増えると、伸行はますますピアノにのめり込みました。そうなると、もう私の出番はありません。親でありながら、1人の熱烈なファンのような気持ちで音楽に聴き入り、その活動を見守るようになったのです。

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我が子の本分を伸ばすための秘訣

(辻井)

常に子供の目線で見て考え、語りかける。私は伸行を育てる上でいつもそのことを心がけてきました。私自身、そういう育て方をされたからかもしれませんが、例えば何か失敗しても、頭ごなしに叱ったりせずに、なぜそうなったのかを落ち着いてゆっくり説明してあげることは大事だと思います。そして当然ながら、うまくいったらよく褒めてあげることです。

ことピアノに関しては、伸行は納得いくまでとことん練習しますから「もっと頑張りなさい」という言葉は必要ありません。しかも、私のピアノの実力など到底及ばないレベルに行ってしまったので、ある時点から私が何かを説いて聞かせることはなくなりました。むしろ「こんな短時間で、ここまで弾けるようになったの!」と褒め役に徹します。私自身があまりピアノを弾けないものですから、心から上手だと思うんです。それで、伸行もまたやる気を出してくれたように思います。

中には「伸行君は特別だから」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、そうではありません。伸行は盲学校の小学部で洋服のボタンを留めることもできない〝劣等生〟でした。しかし、私はあまり気にすることなく、伸行の長所を伸ばすことを心がけてきました。

周囲と比較するから些細なことで一喜一憂するし、子供も萎縮してしまいます。第一、それでは子育ては楽しくありません。母親が自分を犠牲にして子育てをしている、自分がいることで苦しんでいるという雰囲気は必ず子供に伝わり、気持ちを暗くします。だから、私はできるだけ自分が無理をしないでやってきたつもりです。

人と絶対に比較せずに、その子の本分を見つけて思い切り伸ばしてあげる。月並みかもしれませんが、私のこの信條を子育てに悩んでいらっしゃる方にお伝えすることで、少しでもお役に立てればと思っています。それを考えると、挫けずに二人三脚でここまで歩いてきて本当によかったなという思いを強くします。

(本記事は『致知』2010年1月号を一部、抜粋したものです)

 辻井いつ子(つじい・いつこ)

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昭和35年東京都生まれ。東京女学館短期大学卒業。フリーのアナウンサーとして活動後、産婦人科医のご主人と結婚。生まれつき全盲の長男・伸行さんをヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝に導く。著書に『今日の風、なに色?』『のぶカンタービレ!』(ともにアスコム)。

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