きょうは『致知』の全国大会

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本日27日、福岡で「『致知』愛読者の集い全国大会in福岡」が開催されます。
講師の一人を務められるのは慈眼寺住職の塩沼亮潤さん。
過酷な千日回峰行の体験を交えながらお話しいただきます。
塩沼さんの修行とは、どのようなものだったのでしょうか。
筑波大学名誉教授・村上和雄さんとの対談の一部を紹介します。


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塩沼 亮潤(慈眼寺住職)
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村上 和雄(筑波大学名誉教授)  

※『致知』2007年6月号
※連載「切に生きる」P8
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【村上】 
いまのお話を聞いただけでも大変な修行ですね。
たぶん私は最初の500段の階段を上っただけで、くたびれて動けなくなる(笑)。
一日行って帰ってきただけで体がガタガタになるでしょうね、
普通は。そのための特別なトレーニングとかあるんですか。
 
【塩沼】 
特にありません。高校時代から行のためにと思い体を鍛えていましたが、
それでも始めたばかりの頃は熱が出たり、膝に水が溜まったりいたしました。
 
毎年体力のある春先はいいのですが、
行を始めて1か月くらい経つと爪がボロボロになってきます。
口に入れるものはおむすびと水だけで、お豆腐やお野菜などの
おかずのある食事は夜だけですから、栄養不足になるんだと思います。
しかし、不思議とそれもしばらくすると落ち着いてきます。
 


3か月目はちょうど梅雨明けになりますが、
そこでがくんと体力が落ちる時期があるんです。
その1週間くらいは必ず決まって血尿が出ました。
でも、それを通り過ぎると体が軽くなる気がいたしました。
 
【村上】 
極限を通り過ぎると、逆に体が軽くなると。
 
【塩沼】 
しかし、馬力といいますか底力みたいなものはなくなります。
行に入りましたら体調が「いいか悪いか」ではなく、「悪いか最悪か」です。
日々限界です。あとは呼吸とリズムです。
 
調子が悪いからといってそこで諦めるのではなくて、
調子が悪くても昨日の行よりきょうの行、きょうの行より明日の行と、
日々向上していく姿勢が大事なんです。そしてそれを続けていくうちに、
「きょうはダメだった」という日がなくなって、
どんな日でも「きょうはよかった」と思えるようになります。
 
また、この行は誰に頼まれてやっているわけではないのです。
自らが進んで行じさせていただいておりますから、皆に心配をかけてはいけない。
心配や不安を与えるような行者では“行者失格”という、
自分なりの強い信念がありましたので、
大峯山頂の宿坊には8時半、戻ってくるのは3時半と時間を決めて、
毎日同じ場所を同じ時間に通過すると、自分の中に誓いを立てました。
 
【村上】 
例えばこういう行を人から強制されたら、それこそ拷問に遭っているようなもので、
とてもできないと思うんですよ。
やはりご自身でやると発願されたことが、やり抜く一つのベースになっているのでしょう。
 
しかし、やると決めても途中で弱い心が出てくるのが人間です。
塩沼さんのお話を聞いていると、そういう心が出てこない。そこが素晴らしいですね。
 
【塩沼】 
40キロ行って帰ってくれば、1,000日のうちの1日を積み重ねることになります。
ああ、行者さんはきょうも行って帰ってきたなと。山頂の宿坊にも人がいますから、
「きょうもちゃんと来たな」と分かるわけですが、
見られていない山の中での心の持ち方、
行じ方はいくらでもごまかすことができると思うんです。
 
でも、どうせ同じ行じるなら、とことん真剣にやりたいと思っていました。
どんなに人の目をごまかせても、自分の心はごまかせません。
何年何月何日、あそこで手を抜いたということは
いつまでも自分の心のレコーダーに残るわけです。

ですから、後悔だけはしたくない。一瞬一秒無駄にせず、
真剣にやり抜きたいという思いは最後まで貫き通しました。
これがいま胸を張ってお坊さんでいられます自信に繋がりました。
過信ではなく仏さまからの、努力のご褒美です。
 
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