『致知 』特別企画!社員が語る「致知と私」vol.16

社員の日常

『致知』特別企画 ≪社員が語る「致知と私」Vol.16≫

社員に致知出版社への入社のいきさつ、『致知』への想いを語ってもらう新企画、《社員が語る「致知と私」》。

本日は、入社9年目の先輩社員、仙田貴也です!

「天真を発揮して生きる」をモットーに
日本全国の働く人が「天真を発揮して働いてほしい」
という思いを込めて、社内木鶏会を広めるために
奮闘されています。

とても優しく心のきれいな仙田の
お父様とのエピソードに大変感動いたしました。

ぜひ、ご覧くださいませ。

*  *  *  *

私が致知と出会ったきっかけ、そして致知出版社に入社させていただくことになったきっかけは、父親が長年『致知』を愛読していたからでした。
 今でこそ、私は父親を心から尊敬し、『致知』という本に出会わせてもらえたこと、私という人間をここまで育て、導いてくれたことに感謝の思いがあり、それを表現できるようになりましたが、昔の私は、両親の恩を素直に感じられるような人間ではありませんでした。

 私は小学校6年生のとき、中学受験のため、塾に通っていました。この時、第一志望の中学校に合格するために、父親から精神的にも肉体的にも、非常に厳しい教育を受けており、父親が恐怖の対象となっていました。
 その後、第一志望の中学に合格することができましたが、父親は単身赴任となり、コミュニケーションをとる機会は減っていきました。時が経ち、私は大学進学のため、東京に出ていきました。

これまでの人生で、これといって自分に自信となるもの、背骨になるようなものがなかった私は、就職活動という、人生に一度しかない、このタイミングに全力を傾注し、キーエンスという精密機器メーカーに就職しました。
心の奥底で、父親を認めさせたいという純粋ではない思いがあった私は、この会社なら一部上場企業で、財務体質が良く、製造業という日本を支えているモノづくりに携わる企業であるため、自信をもって伝えられる、そう思ったのです。

 そんな折、入社して3年目の時、母親から動揺した様子で電話があり、父親が肺ガンになったと聞かされました。
 術後の父親の見舞いに行くため、高知に帰った私は、ベッドに辛そうに横たわっていた父親を見て、愕然としました。

そして湧き上がってきた思いは、何の親孝行もできていない、頼むから死なないでほしい、まだ生きていてほしい、という願いでした。

 その頃から、私は、何年も前から父親がずっと大事そうに手元において読んでいる『致知』という本に、深く興味を持つようになりました。その後、社会復帰することができた父親は、私に『致知』をギフトしてくれました。

 『致知』を読みながら、感じたのは、両親への感謝、生きているのではなく、大きな力に生かされていることへの感謝の思いでした。

そして、深く気付かされたのは、父親はずっと銀行員として勤めながら、様々な矛盾と葛藤のなかで、『致知』という本と出会い、その言葉によって、心を奮い立たせ、時には整え、向き合い、現実と闘っていたんだ、という思いでした。
 昔、抱いていた父親への恐怖心や反抗心なども、『致知』を読むにつれ、無くなっていくのを感じ、私もこの『致知』という本から、学ばなければならない、直感的にそう思ったのです。
その後、時がたち、2011年の夏、私は致知出版社に履歴書を郵送し、6年半勤めた前職を退職し、ご縁をいただき、入社することとなりました。

 あらためて自分自身の原点を振り返り、藤尾社長が42年間、真剣に生きている人の心の糧になる雑誌を作る、という理念を一貫してぶらすことなく、『致知』を出し続けていただいたからこそ、今の自分自身があるのだと思い、この仕事に対する使命感をより一層、強く感じる機会となりました。

 一人でも多くの方に致知を届け、心に光を灯していただく、そして自分自身が致知を通じて、もっともっと心を磨いていくべく、このありがたい仕事に精進してまいります。

 

 致知営業部 仙田貴也

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