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佐々淳行氏

日本の美しい桜が散った

佐々淳行氏(初代内閣安全保障室長

初代内閣安全保障室長であった私が昭和天皇大喪の礼警備を最後に官を辞し、素浪人ながら「危機管理」の専門家として文筆や講演、テレビ出演をするようになった頃、渡部昇一さんは、すでに保守派の文化人として大活躍されていた。

いまでこそ「保守」は市民権を得ているが、およそ三十年前は「時代錯誤」と同義語であった。「憲法改正」だの「国益」だのと言い出せば、それだけでマスコミの目の敵、発言の機会から締め出されかねなかったのだ。そういう逆風の中にあって、戦後日本のあり方について、筋の通った主張をずっと貫いてきたのが渡部さんだった。

渡部さん、日下公人さん、岡崎久彦さんら、保守派の文化人でつくる「初午会」という集まりがあった。昭和になって最初の午年生まれということから名付けられた会で、私もそのメンバーである。

二十数年前のこと、竹村健一さんのご自宅完成時、室内コンサートに夫婦で招かれた。中曾根元総理、ソニーの大賀典雄会長ほか、錚々たるメンバーの中に渡部ご夫妻も招かれており、以来、家族で近しく付き合うようになった。お互い、家に呼んだり呼び返したり、息子さんの結婚式、ご夫妻の金婚式にも伺った。数年前から、私は脊柱管狭窄症で歩くのも難しくなったが、折に触れ手紙をいただき、返信するという間柄だった。

渡部さんの訃報に接したのは、朝、庭の桜が急に散った日だった。妻は「日本の美しい、懐かしい桜が散ってしまわれた」と寂しがっていた。信じるところを誰に遠慮もなく正面から発信してきた渡部さんは、保守派の拠り所であった。安倍晋三総理が駆けつけたくらいだから、まさしく「御目見」「有職」であった。ささやかな思い出を記して、心からの哀悼の意を表する次第である。


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