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中西輝政氏(京都大学名誉教授)

大切な人の、早すぎる死

中西輝政氏(京都大学名誉教授

渡部昇一先生ご逝去」の知らせを聞いて、大きな驚きと共に、何よりも「早すぎたのでは」との思いが頭をよぎった。たしかに、多くの知己の方々が語っておられる通り、この一年近く渡部先生は御健康を害され外目にも衰弱の御様子だった。

しかし私には「渡部先生に限って」、「きっと百歳を超えても現役でおられるはず」との思いが強くあった。

以前、一度夕食を御一緒した時のこと、当時まだ壮年だった私でさえ閉口するほどの大変なボリュームの肉料理の皿を二人分平らげて、なお物足りぬ御様子の健啖ぶりだった。それにごく最近に至っても、あの誰もが驚く旺盛な仕事振りは全く衰えを見せていなかったからである。

私が初めて渡部先生にお会いしたのは、二十年前、山本七平賞の授賞式後の懇談の席上であった。

何かの話題から、私が往年のイギリスの歴史作家・サマヴェルの著作で、世界史上の有名な政治家の伝記を扱った本(D.C.Somervell, Studies in Statesmanship, London, 1923)には、こんなことが書いてありますが、と言及したところ、渡部先生は「今の日本にあの本を知っている人がいたのか」と大変喜ばれ、その後も御自分のコラム等で、たとえ初対面でも貴重な知識を共有する人に出会うのは、百年の知己に会う思いだ、との有名な箴言を引いて評して頂いた。

私にとって渡部先生は何よりも、ヨーロッパの文化と歴史を深く知る学者同志として、かけがえのない知己であった。ある時は(その後、途中で立ち消えになったが)昭和史の研究センターを設立して日本人の健全な歴史観の育成を図る計画に共に取り組んだこともあった。

渡部先生は、数十年にわたり平明な叙述で、しかし日本人にとって大切な考え方を説きつづけ、一貫して日本の論壇をリードしてこられ、また、あの独特な山形弁での当意即妙・軽妙洒脱な語り口は全国の多くの渡部ファンを惹きつけてやまなかった。私自身も座談の名手としての渡部先生から、西欧と日本に関わる多くの問題で蒙を啓いて頂いたこともしばしばであった。

近年、「戦後七十年談話」などでは渡部先生と私とで評価は分かれたが、それだけに今一度、親しく歴史論を交わす機会を楽しみにしていた。それゆえに、このたびの訃報は私にとって、何としても「早すぎた」のである。しかし「大切な人の、早すぎる死」、これこそまさに人の世の習い、と言うべきか。

渡部先生の御冥福を心からお祈り致します。


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