追悼 渡部昇一先生追悼 渡部昇一先生
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石原慎太郎氏

該博な教養を備えた
無類の愛国者

からのメッセージ

渡部さんはまさに「知」の巨人とも言える人だった。 それを証すのは彼の新邸に構えられた書庫の蔵書の膨大な数とその質の素晴らしさだった。

書庫を案内されて私が共感したのは、私自身もよくあることだが、書庫に入って取り出した本をすぐに読みたくなって立ち読みすることが多々あるものだが、その立ち読みするための本を置く台がしつらえられていたり、さらに高じて取り出した本を熟読するための簡単なベッドまで備えられていたものだった。 中にはある時大学の教授としての給料の全てをはたいて買い求めたと言うような本もあったし、ビアズレーの挿絵の載ったイエローブックの初版本まであった。彼の英語に関する該博な教養は並のものでなしに、英語の源泉のケルト語にまで及んでいて、並の英語通の及ぶところではなかった。

いつか家族連れでの外国旅行中に私が以前ヨットレースに出かけたアメリカで、ヨットの部品の買い物に行った店で知らされたある表現の便利さに感心して、ああした慣用の表現を教えぬ日本での英語教育の欠陥を口にしたら、一緒にいた英語通を任じている竹村健一が「そんな表現は英語としたら邪道だ」と非難したが、渡部さんが「いやいや指示形容詞を副詞として使うのは英語の正統な表現ですよ」と古典の中の事例をあげてたしなめ、竹村も沈黙せざるを得なかったのは、生半可な英語使いの私にとって極めて印象的なものだった。そうした教養をはるかに上回って渡部さんは日本の伝統に関しての該博な知識を踏まえての無類な愛国者だった。 世界が混迷の度を深め、日本人が己のアイデンティティーを見失いかけている現代に、彼のような「知」の巨人を失ったことを痛切に悔やまずにはいられない。


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