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渡部玄一氏(チェリスト)

亡き父の書庫にて

渡部玄一氏(チェリスト

父の書庫に座って呆然としている。物言わぬ幾万の書物の重みが身体にのしかかってくるようである。そして目の前に父の骨がある。ただただ不思議に思うのは、あれだけの知識、知見はいったいどこに行ってしまったかと言うことだ。父の死は私にとって切実な出来事であった。

これも父が日頃から言っていたa blessing disguise―仮装した祝福(一見不幸な出来事も本人の心がけ次第で良いことのきっかけになり得ることの謂い)なのであろうか? 今はとてもそう受け入れる気持ちになることは出来ない。

父はその死の半月ほど前、痛む身体を起こして家族と食卓を囲む機会を持った。その時父が「自分ほど幸運に恵まれた人間はいない」と言っていたので、私がなぜそうなれたと思うか問うた。

父はしばらく考えてから「それは自分が親にとても可愛がられたからだと思う」と答え、そして「どんなに貧しいときも子供のためと思われる出費には母は一切文句を言わなかった」と懐かしそうに話した。

父によれば、もし子供が生涯幸運に恵まれる事を願うなら、まずその子供を可愛がれ、と言うことである。確かに私達もそうされてきた。

書庫を改めて見渡すと今更ながらその素晴らしさに驚く。父はこれを一代で築いた。この書庫は幻ではなく現実にあるものだ。この書庫を今後どのようにできるか今は分からない。しかし一つの夢をこれほど見事に実現した証拠は私に呈示されている。

私が受け継ぐべきものはこの事実であり、それが出来た時、初めて父の死がa blessing disguiseと言っていいものになるのかも知れない。

父の生前、父を支えてくださった読者の皆様、致知出版社の皆様に心より御礼申し上げます。


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