安岡師についての対談 大好評!
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【安岡】 あの時期によくこういうものが書けたと思うんです。
当時は憲兵や特高がウロウロしていましたから、
本当に度胸が据わっていなければできない。
それは、将来の日本を背負って立つ若者たちを
犬死にさせることに対する、
父の義憤だと思います。
このことに照らして考えてみれば、
父はやはり、まず人間としてどう生きていくべきか、
ということを若い人に教えていきたかったに違いない。
そこが父の求めていたものであろうと私は考えます。
【荒井】 いまのお話は、安岡教学の神髄に触れる部分だと思います。
それは、まず自分をいかに修めるか、
つまり修己であり修身であり、
そのよい影響が他者や社会にも波及していって
「万世のために太平を開く」ところにまで至っていく。
儒教も仏教も同じ所を出発点にしていますが、
安岡先生の場合は和漢洋の歴史と古典の中から、
不易、普遍の珠玉のような真理を提供されている。
しかも、それを単に真理としてとか、抽象的な論理としてではなく、
現実の中でいかに活学するかというところに安岡教学の神髄があると思うんです。
先ほど、安岡先生のオリジナル創作は皆無に近いと申し上げましたが、
先生は歴史と古典から素晴らしい智慧を人々に示して、
それらを人生の中で活学するための方向を示されたのだと思います。
【安岡】 そのとおりだと思います。
【荒井】 以前、アメリカのコネチカット州に研修に行った時、
指導主事の方から先住民の教えに学んでいるという話を聞きました。
それは、一匹の魚(フィッシュ)を与えるよりも、
一本の釣り竿(ハウ・トゥ・フィッシュ=魚の釣り方)を
与えるような教育が望ましいというのです。
一匹の魚を与えても一日の食事が賄えるだけですが、
釣り方を教えれば一生の魚を賄えるのだと。
学び方を教えることが重要だということを言われて、
それはまさに安岡先生がおやりになっていたことだと思ったんです。
安岡教学は、魚の釣り方、つまり活学を教えているのですね。.











