『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

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    大学生の私が致知』を読む理由

    兵庫県在住 中村かりんさん(20歳)

     私は高校生の時、全国もっけいクラブ代表世話人会会長・三木英一先生のご紹介で『致知』を読み始めました。受験勉強を始めた頃は、目標や夢はありましたが、自分の限界を突破したい、昨日の自分を超えたいと思いながらも、自分の中の弱い自分に負けてしまうことがあり、志望校に合格できるか不安に思ったこともありました。

     そんな時、『致知』を開くと一所懸命生きておられる方々の言葉が飛び込んできて、やっぱり自分も頑張ろうと思えました。天才と言われる人も生まれつきではなく、発憤と努力のたまものだと知り、ならば私も! と勇気づけられました。何をするかではなく、どうあるべきかが大切だと学び、神様仏様に応援される受験生の態度を追求しました。また、各界で一流の人ばかりが紹介されており、それに刺激を受けて、一流の受験生になる覚悟で勉強することができました。おかげさまで、いまはご縁のある大学に通っています。

     私の実家はみょうきょうというお寺です。大学生になって、『致知』の感動を寺族(お寺に住む人)だけでなく、お寺にご縁のある方々とも共有したいと思い、毎月一回、自坊で『たちばな会』(木鶏会)をしています。年齢や立場の違う人の話を聞き、皆で人間学の学びを深めています。

     お寺は昔、人々が集う学びの場でした。いまはお寺離れが進んでいると言われていますが、いつの時代もお寺は学びを深め、志を強くする、そして心が折れそうになった時はやされる、そんな役割のある場所だと思います。

     お寺を預かる者として、ここに足を運んでくださる皆さんが、どんなに重い荷物を抱えておられる時も、仏様とのご縁によって、いまを生かされているということに気づいていただけたらと思っています。『致知』は、いろんな苦難を抱えておられる方にも届くメッセージが詰まっていて、どこを開いても不思議と自分とつながる言葉が出てくると思うのです。私は、いつも仏様の前で誓いを立て、困難なことが起こった時は相談し、自分の道を見失わないようにと思っています。『致知』の中には仏様からのメッセージがあると思って読んでいます。

     2023年、『致知』を愛読する20代・30代が集う関西致知若獅子の会に出会い、『致知』との繋がりがより深くなりました。お互いの志を応援し合う、活力にあふれた場所で、メンバーからいつも刺激をもらっています。また、自分の日々の行動を見つめ直すよい機会になっています。

     これからも『致知』を通して、自分を磨いていきたいと思います。

     

    『致知』は現代の『論語』であり『聖書』

    長野県在住 田中 昇さん(67歳)

     『致知』を購読して20年以上になります。きっかけは、東海大学の同期である柔道家・山下やすひろ先生の紹介で、作家・かみわたりりょうへい先生の『下坐に生きる』(致知出版社)を読んだことでした。登場者の生き方にとても感動した私は10冊ほどを購入し、親しい人たちに配ったものですが、その後しばらくして山下先生も私も『致知』を定期購読するようになりました。

     縁とはありがたいもので、現役時代に国民栄誉賞を受賞し、日本オリンピック委員会会長を務められた山下先生とは学生時代に出逢い、今日まで親交を深めてきました。公の場では山下先生と呼んでいますが、普段は「やっちゃん」と呼んで親しんでいます。学生時代は柔道部で共に稽古に汗を流し、誰よりも多く彼の受け身を取ってきました。卒業後は共に大学に勤務することとなり、最初は同じアパートの部屋で生活していた仲でもあります。彼も私もトイレを使用した後は、便器をれいくことを習慣にしていますが、これも『致知』の学びによるものです。

     購読を始めた40代の頃、私はデンマークにある東海大学の付属高校できょうべんっていました。初めて『致知』を手に取った時、幼い頃、父からげんこつをもらった時の衝撃がよみがえってきたことをいまも覚えています。まるで「もっと勉強せい」と活を入れられた感覚でした。教師としての資質を高めたいと思っていた私にとって『致知』は心の支えであり、現代の『論語』であり『聖書』でもありました。

     千葉県の付属高校に赴任し、校長になって以降は、子どもたちや保護者の皆様の力になればとの思いから『致知』での学びを「校長通信」で紹介。また、気に入った言葉をカードにし、校長室横のテーブルに置いて自由に持ち帰ってもらっていました。2023年春に定年退職しましたが、これまで『致知』の「特集総リード」をまとめた『人生の大則』をプレゼントした人は60人近くになるでしょうか。

     一般の週刊誌と違って『致知』は読むのにエネルギーが必要です。しかし、一冊読み終えた後の充実感は何とも言えないものがあります。自宅に戻れば、購読を始めてからの『致知』が揃っていて、それは私の人生の大切な支えです。

     人生は転んでも、投げられても、立ち上がればよい。これは柔道から学び、教えられた私の人生観です。概していま子どもたちは失敗を恐れるあまり、チャレンジを避ける傾向にあると感じます。しかし、『致知』で紹介される偉人は皆、数々の失敗を繰り返しながら大成していきました。そういう偉人の姿を通して子どもたちの人を敬う気持ち、物事に挑戦していく心を育てることも道先案内人である私の務めだと思っています。

     現在は信濃国しなののくにいちのみや大社のようにんとして御朱印を書く日々ですが、これからも自らの持ち場を通じて、『致知』に学びながら子どもたちの生きる力をはぐくむための活動を続けていく所存です。

     

    2023年8月号ご登場 井上裕之先生からいただいた『致知』へのメッセージ

    いのうえ歯科医院理事長 井上裕之さん

     書籍や講演で皆さんに伝えていることは、人生の悲愁、逆境に直面した時には、ただ悲しんでいるだけでは何の結果も生まれないということです。

     私は逆境の中で「学ぶ」という行動をとったことで絶望から光を見出すことができた。そして学ぶことによって強い心が養われ、自分だけでは難しかった問題の解決方法を見出すことができました。ですから、逆境の時ほど学ぶ、学んだことを信じて自分の中に取り入れる。これが私の事故の体験から得た、悲愁を越えてよりよい運命をひらく一つの方法です。

     それも「愚者は経験に学ぶ。賢者は歴史から学ぶ」という格言があるように、古典や先人の叡智に学ぶことが大切です。長い間歴史の中で受け継がれてきた教えには、やはり人々を成功に導くための普遍的なもの、本質的なものが詰まっています。新しい知識を身につけることよりも、本質的なベースを創ることが重要で、それを学べるのがまさに『致知』なんです。 

     

    人間学を貫く『致知』に鼓舞されて
    広島県在住 論語普及会元副会長 池田弘満さん(71歳)

     あれは平成14年頃のことです。広島で小学校教員をしていた私は、せんがくさいながら統合予定の小学校長を命じられ、やがて準備の学校責任者を任されました。子供の教育・通学がどうなるのかという切なる思いから、地域の方々の関心は決して薄くはなく、期待は大なるものがありました。私は責任者として、「誰もが通いたくなる学校、誰もが通わせたいと思う」学校経営計画を立てたいと切に念じました。先賢の地を訪ね、イメージをふくらませ、その実現プロセスを法規法令・学習指導要領に基づいてまとめたりもしていました。しかし休日も学校で何かと調べたり纏めたりするうち、ストレスで身も心も油切れ状態になっていました。ふと、以前新幹線で移動中に頭がえたことを思い出し、電車で岡山市や倉敷市等に遠出して仕事をするようになりました。

     そんなある日、図書館へ行く前にふらりと訪れた岡山駅の地下街の書店で、寺田いっせいさんがへんさんした森信三先生の語録『いちせんきん』(致知出版社)が目に留まりました。そこに封入されていた『致知』の小さなチラシを見て、何かしらと気になり、電話をして購読を始めました。すると、いろいろな人が腹の底からの言葉を発しておられる文章に感動し、かれていきました。特に「特集総リード」には毎号、一ページ完結ながら魂から発せられる言葉が見事にちりばめられており、幾度となく鼓舞され、教員として大いに指針とさせてもらいました。

     また筑波大学名誉教授の故・村上和雄先生はゲノム解析の見地から「笑顔」の大切さを説かれていました。後の赴任校で私は学校に来られない子など苦しんでいる児童たちに出逢いました。そこで、職員と共に教育計画を練り直す際、「笑顔であいさつ○○○(学校名)」を合言葉に様々な意見を纏めて、こうとく、教職員それぞれが自分の持ち場で誠をもって実践していったのです。半年が経った10月のある日、欠席者ゼロが2日間続きました。そこで、月ごとの欠席者数をグラフ化してみると、7月から前年比約半減が続いていたのです。それは年度末まで続きました。これはほんの一例です。学校は生き物で、日々問題を突きつけられますが、『致知』で学ぶ人間学、古典や諸科学、学習指導要領をもとに毎年原点にかえり皆と取り組むとなぜか、知徳体一体、文武一致の結果がついてきました。

     『致知』で知った安岡正篤先生の著書から山田ほうこく先生も知りました。平成20年には致知出版社主催の講演会でさとる先生にかいこう。論語普及会に入会し聴講する中で『仮名論語』30年の大改訂に携わったり運営の末席を汚したりもしました。

     未熟ゆえ『致知』をすべて読めない時もあります。それでも購読を止めなかったのは、身近に置き、時に読むだけでも元気が出て、潜在意識に新たなものが積まれていく気がするからです。

     これまで同様、これからも人間学誌『致知』や地元福山藩の藩主を務めた阿部正弘公、山田方谷先生ら先賢、『論語』『大学』『中庸』をはじめとする古典、諸科学、法規法令などに学び、論語普及会での講座や人物・古典に学ぶ会等を通じて縁ある方々といちぐうに燈をともしていきたいと念じています。

     

    人生の火種を抱くや致知の本
    福岡県在住 健康道場コスモポート主宰 吉丸房江さん(89歳)

     『致知』を読み始めたのは、藤尾秀昭社長が社長になられる前、かれこれ40年以上昔のことだったと思います。福岡県糸島市で私が始めた「健康道場コスモポート」に取材にお見えになった時、藤尾編集長のお人柄やその言葉の深さに魅せられ、以来、毎月の『致知』を楽しみに購読するようになりました。当時、私はまだ40代。取材前に見本としてお送りいただいた『致知』を目にした時、そこに登場するそうそうたる顔ぶれに圧倒されながら、自分とは無縁の月刊誌だと思っていました。それまで私が読むものといえばもっぱら女性雑誌ばかりだったからです。 

     しかし、『致知』を継続して読み続けるうちに、私が知りたかった日本の歴史や日本人の魂のことなどが繰り返し書かれていることに気づきました。さらに『致知』で紹介されている話が理論ではなく、実践に裏打ちされていることに大変共感するようになりました。 というのも、私自身が理論派ではなく実践派だからです。

     私はもともと小学校の一教員でした。両親が共にがんで亡くなったことで健康への関心が高まり、西洋医学や東洋医学を自己流で学ぶようになりました。人が病気にならないために何をやりたいかを考えていたところ、酵素風呂の技術を学んだという人と偶然出会って酵素の威力を知り、思い切って教員を辞めて昭和53年、「健康道場コスモポート」をつくりました。ひのきのおがくずにコスモ酵素の原液を浸透させ自然発酵させると、ガスも火も使わずに70度に達します。この酵素風呂に首まですっぽりと入ると、15分から20分で体内の老廃物が出てきます。遠赤外線で熱が骨の髄まで浸透し血液の循環もよくなるのです。この酵素風呂で健康を回復していく人たちを見る度に、一大決心して事業を立ち上げてよかったと心から思います。道場を立ち上げて今年で45年。『致知』とほぼ同じ歴史を歩いてきました。

     私がそうであったように、一つのことを成し遂げていく上では誰にでも様々なドラマがあります。『致知』を読む度にそれぞれのドラマや人生の中で紡ぎ出された言葉に共感し、胸打たれることもしばしばです。「お金をもらって喜ぶ人よりも、言葉をもらって喜ぶ人のほうが霊格が高い」と言われます。『致知』はまさに言葉の力によって人々の人生を豊かにする月刊誌なのではないでしょうか。

     暗い言葉や不平不満、怒りなどの言葉は自分の心ばかりか体までもむしばみます。一方で明るくて温かい言葉は自分の人生や周囲を照らすだけでなく、自分自身の病気をも改善していきます。古来、ことだまと言われるように、言葉の働きは実に精妙です。「素直で明るく温かく」。これは私の人生の念仏であり指針です。

     『致知』を読み続けていて嬉しかったのは、 平成20年、創刊30周年に当たって募集された短歌俳句で佳作に入賞できたことです。

     人生の火種を抱くや致知の本

     この思いは『致知』が45周年を迎えるいまも、まったく変わりません。

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