トップ > 河野義行氏の講演会レポート

河野義行氏の講演会レポート

一月度致知読者の集い
「えん罪を体験して」
松本サリン事件被害者 河野義行氏

――――――――――――――――――――――――――――――――
十二月度致知読者の集い(木鶏クラブ本部例会)は、
去る十二月十六日(土)、講師に松本サリン事件被害者・
河野義行氏をお招きして、東京・京王プラザホテルにて開催しました
(参加者58名)。

平成六年、多数の犠牲者を出した「松本サリン事件」の
容疑を受け、警察やマスコミなどの権力と正面から
向き合ってこられた河野氏に、
これまでの支えとしてこられたことや
現在のご心境などをお話しいただきました。

kouno.jpg

――――――――――――――――――――――――――――――――
平成六年六月二十七日深夜、裏庭から
カタカタと妙な音が聞こえてきました。
なんだろうかと思って外へ出てみると、
飼っていた犬が口から白い泡を吹いて
激しく痙攣を起こしているのです。
もう一匹の犬はピクリとも動かない。

「母さん! 警察に通報したほうがいいんじゃないか」

中にいた妻へ声をかけましたが、返事がありません。
部屋に戻ってみると、妻が犬と同じように口から泡を吹き、
痙攣状態になっている様子が目に飛び込んできました。

すぐに救急通報をしたのですが、
これが松本サリン事件の第一報、
つまり「第一通報者」と、後に呼ばれるようになるわけです。

私も視覚の異常をきたし、激しい吐き気に襲われる。
足元がふらつき、立っていられない状態になって、
病院に運ばれました。

 翌日警察は記者会見をし、
「被疑者不詳の殺人罪で会社員宅を強制捜査した。

その結果、殺傷力のある薬品類数点を押収した」と、
私の実名をマスコミに公表したのです。
私は殺人罪の容疑をかけられ、これを機に
報道が一気に過熱していきました。

 例えば事件が起こる二十年前、
京都で薬品会社に勤めていた事実を掴むと、
薬品に精通していたらしい、
そしていつも薬品を取り扱っていたらしいという
推測の記事が載るのです。

そんなことが繰り返されるうち、
世間の人にも間違った情報が刷り込まれていき、
誰もがこの会社員がやったんだと思ってしまうわけです。

「らしい」が飛んでしまうんです。
そして大勢いる人の中には「俺は許さないぞ」と
制裁に走る人が出てきます。

 次の日から、自宅には
無言電話や嫌がらせの電話が殺到しました。

電話を取っていたのは、主に高校一年生の長男です。

入院中の私の元へ悲鳴を上げてやってきました。
「お父さん、電話が凄い。番号を変えてほしい!」

私はこう答えました。
「電話番号を変えるのは簡単なことだ。
けれどもそれは現実から逃げることになる。
逃げていたら俺たち家族は潰されるぞ。
大事なのは、どんな電話であっても正面から
真摯に受け答えをすること。

受話器を取ると、人殺しとか、
さっさと本当のことを吐けとか、いろんなことを言われ、
つらいかもしれない。でもそういう電話であっても逃げない。
正面から受け止めていく。
 そしてもう一つ大事なこと。
それは嫌がらせをしてくる人たちより、
心の位置を少し高く持つこと」。
 圧倒的に不利な状況であっても、
心の位置は自分で任意に設定ができるのです。
ボコボコにやられても、きょうは許してあげると言えるんです。
これらをずっと続けたんです。

 結果的に、事件前と事件後の電話番号は変わっておりません。
子どもたちはその約束を守り抜いてくれたということです。
辛い中で逃げることなくそれを通してくれたことが、
彼らの大きな教訓にもつながったと思います。

私は事件が起こる前、
警察というものを全面的に信頼しておりました。

警察は自分の命や財産を守ってくれるもの、
そう思っていました。けれども弁護士の方は
「警察がおまえさんの身の潔白を証明してくれる。
そんなふうに考えたら間違いだ。警察は犯人をつくるところなんだ」。
こういう言い方をしたんです。

捜査というのは、疑うところから始まります。
疑って疑って、そして真実に辿り着く。
疑うのがいけないとなれば、
捜査は成り立たないわけです。
けれども当時の捜査本部は、
明らかにしてはいけないことをしていました。

高校一年の子どもに対して切り違え尋問をやったのです。
「君のお父さんは罪を認めている。
君だけ隠していてもどうなるものでもない。みんな喋りなさい」。
もし長男がその雰囲気に呑まれて「そうかもしれない」と、
一言言ってしまえば、私は間違いなく逮捕されていました。

 また、医師からは事情聴取は二時間が限度という
診断書が出ていましたが、取調べは延々七時間にも及びました。

 担当刑事が入ってきましたので
「こんなことが許されるのか」と抗議をしたら
「これも捜査の手法です。
あんたの潔白はあんたが証明しなければいけない」と言います。

けれども自分が何もしていないということを
どうやって証明できるのでしょうか。

私はいろいろな方法で証明を試みました。
できないんですね。何もしていないのだから、
証拠となるものが何も存在しないのです。
それを世間やマスコミは要求してくるのです。

七月三十一日、自白の強要を受けた。
やはり七時間半の事情聴取でした。
立っているのも耐え難い。
警察は明日も出てこいという。
とてもつらい選択を迫られました。
任意の事情聴取を辞退すること。
それは警察に対して逮捕のきっかけを与えるということです。

動きが変わるのが翌年一月一日。
山梨県の上九一色村でサリンが分析され、
その頃からオウム真理教の存在が少しずつ表に出てきました。
しかし長野県警は依然として、河野クロ説を変えない。
私は記者会見をし、反省のないマスコミに対して
提訴の用意があることを表明しました。

三月二十日には地元紙に対して損害賠償請求を行いました。
その時、会見に集まっていた大勢の記者のポケットベルが
一斉に鳴り始めたのです。
東京で地下鉄サリン事件が起きたのでした。

 そして私の疑惑が消去法でなくなっていきました。
私は警察当局に「河野、事件に関与せず」と公の場で
発表してもらいたいと要求し、
六月十二日に発表が行われました。

一年かかって、やっと被害者が被害者になった。
自分にとって、とてもつらい一年間でした。

そんな中でなんとか私が耐えてこられた理由、
それはやはり妻が生きていたことが一番大きいと思います。

妻は事件が起こった時に心停止をし、それ以降、
十二年と六か月、意識不明の状態が続いています。
何も喋ってくれない。体も動かせない。
そういう状態ではありますが、ともかく生きている。
そこに行けば会える。このことが自分に
どれだけ力を与えてくれたかしれません。
人には命がある、そのことだけで誰かを支えることができるのです。

そして十年以上がたってから、
私に自白を強要した警部が、
実は体を張って私の逮捕を阻止してくれた方で
あったことが分かりました。

人というものは、本当に知らないところで
いろいろな支えを受けながら生きている。
この世の中、それほど捨てたものじゃないな、
そんな思いで現在を過ごしています。

      (要約抜粋・文責 編集部)

▲ページ上部へ

定期購読のご案内
ギフトのご案内

各分野で活躍する人物の発した「朝礼やスピーチで役立つセリフ」を編集部が厳選してお届けします。

メールアドレス:
 


木鶏クラブへのお誘い
ツキを呼ぶ日めくりカレンダー