特別対談企画『新釈古事記伝』を読む

特別対談企画『新釈古事記伝』を読む

第一回

日本人は、どこから来たのか、その心の底に流れるものとは


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アイテラス社長
今野華都子

コア・クリエーションズ代表
大江亞紀香


『古事記』に書かれている物語は決して難しいものではありません。 しかし、そこで語られていることは、汲めども尽きぬ深い教えがあります。 日本人の心のあり方を長年追求してきた二人の女性が『新釈古事記伝』と出逢い、 読むたびに日本人の心の原点に触れると口を揃えます。 本書の魅力や、いま現代人が『古事記』に学ぶことなどについてご対談いただきました。


【大江】 私自身、読書会などを通じて感じたことは、戦前まで受け継がれてきたもの、空気のように当たり前に日本人に浸透していたものを阿部先生と栗山先生が『新釈古事記伝』の中に残してくださったということです。私は最初、栗山先生が自費出版された時に購入させていただいたのですが、本が届いた時からその佇まいが違いました。とても丁寧に心を込めて梱包されていました。  その包みを解いて本を開く、最初の言葉遣いからあらゆるものへの敬いの言葉で綴られている様子が伝わってきました。心が洗われるというか、こういうあり方が日本にずっと伝わってきたといいますか。あらゆるものに神が宿るとはこういうことかと思いました。


【今野】とてもよく分かります。この本を手にした方は、皆さん感じられることではないでしょうか。第四集の「うけひ」のなかで須佐之男命が姉の天照大御神に、それはもともとあなたの中にあったものだと言われる場面があります。「私は自分の中には“ひ”の光はないと思っておりました。ところが、このようにだんだんとはっきり明らかにしていただくとよくわかりました……いまや私はお姉上の“ひ”の光を受けまして、私自身の中に自分の力として存在する“ひ”の貴さを確認することができました。お姉上、本当にお喜び下さい。私ははっきりと〈あかきこころ(清明心)〉をつかむことができましたから」  こうした部分を読ませていただくと、自分の中にある何かをふつふつと感じるのです。


【大江】本当にそうですね。読んでいる者が勇気づけられると言うか、心にぽっと灯りがともって、温かいものが入ってくるような感覚を覚えます。八百万神といいますが、それは自分もまた神であるという、頭ではなかなか入ってこないものが、須佐之男命を通して確かにそうなんだなと導いていただいているようです。


【今野】祈る、何かを祈る時、自分の中にも同じような波動があることを感じる、そういうことでしょうね。


詳しくは、月刊『致知』8月号ならびに9月号でご紹介させていただきます。