伊與田 覺氏 「孝経」に学ぶ人間学
伊與田 覺
4月『第2回リーダーのための古典活学講座』
●第1講 平成19年4月18日(水)開講
私は教員になるべく大阪の師範学校を出た者であります。中江藤樹先生に関する書物はほとんど読み終えたように思います。学校の先生になるよりも商工に就いたほうが宜しいでしょうと易者さんに言われ、この易者なにを言うのかと論戦になりまして、商工が嫌なら坊さんになりなさいと言われてまた論戦になりました。結局それには従わず、学校を卒業するなり高知県の故郷に帰らずに、その足で中江藤樹先生の藤樹書院を訪ねたのであります。第一番にそこの管理人に聞きました。「中江藤樹先生は特別に偉大な学者に付いて学んだわけではないですね。日本の思想家の第一に数えられる中江藤樹先生が40歳そこそこで亡くなられながら、学者にして聖人と呼ばれる
のは如何なるところにありましょうか」と。管理人は「それは、藤樹先生は足が地に着いて、この地に腰を下ろして動かなかったところにあるのだ」と申されました。
その次に、まだ出来て間もない藤樹神社にお参りをいたしました。学者にして神様にお祀りされるのもそうたくさんはおりません。藤樹書院の宝物に昭和天皇の皇后様が
中江藤樹を称える文章がありその神社に収められてあった。これをぜひ拝見させてもらいたいというので参りましたと切り出したところが、その宮司さんはそれはとてつもないことだと。これは絶対に外に出さないことにしていると言う。これは宮内省の許可がないと出せないというわけです。それで何度頼んでも動きません。私もその頃は若かったんですね。「私は将来、日本一の教員になるつもりで中江藤樹先生を勉強してきたんや。故郷にも帰らすにここに訪ねてきたんや。この将来有望なる青年の出鼻を挫くようなことは天下のために必ずしもプラスにならん。ましてや皇后様もお喜びにならんでしょう」と言ったところが、宮司は「しばらくお待ちください」と言って束帯に身を固めて捧げ持ってきました。相当長い文章でありましたが、今でもずっと覚えているのが一句あります。「学においては藤樹先生に及びもつかないが、藤樹先生の徳に及ぶべく、生涯努力を続けていきたい」という一文がありました。昭和12年の話であります。それから日本は戦いに入り、世界戦争へとなっていくわけであります。
私は学校の教員をやめて軍隊に召集されたのですけれども、復員と同時に太平思想研究所というものをつくったのであります。それから日本はいろいろな面で激変してまいります。
「孝経」の解釈の前に、素読を行ないたいと思います。素読というのは声を出して読むということです。意味をとることを急がないで文章をそのまま読むということですね。「孝経」は、今から2400年も前のものでありますが、それを自分の目でこの文字を見、自分の口で声を出して、その声を自分の耳で聴く。この三つの感覚器官を同時に使うわけであります。そして更に我々の皮膚というのは、度々繰り返しておりますと非上に微妙ではあっても皮膚を通して我々の体の中にも入っていくのであります。
そういうのが素読でございます。漢文というのは、ほとんど日本の訓読で読み下しているのが多い。論語にしろ、大学、中庸、孝経にしろ、すべてこれを日本語で読んでいるわけであります。これが日本人の偉大なところです。我々は長い間に他国の文化を自国の文化に吸収同化してきた、これは偉大なことですね。
「孝経」は18章までありますが、初めから終わりまで通読しても長い時間はかかりません。どうぞご自分で全巻を読み続けられるようにお薦めを致してしておきたいと思います。
孝経の「経」は、縦糸という意味です。織物をする際に、縦糸は始めから終わりまで一貫してずっとつながっているものです。それに横糸が動いて麗しい模様もできていく織物が完成するわけであります。そこでずっと初めから終わりまで一貫して変わらない、三千年の昔も今日も変わらないという思想学問の書物を「経」というわけです。
「孝」という字は、子供が親を背負っている姿なんですね。「孝」というのは、子供は親を離れよう離れようとする。うっかりすると子供は親を忘れようとする。忘れないように親を大事にするようにという教えなんです。教えというのものは必ずしも最上ではない。自然にできるのがいちばん良い。親子は親しみの情によって結ばれる。それが本来であって、理屈がなくて上手く行っているのがよろしい。しかしそれが出来ないからここに、子はこうあらねばならないというものを指し示したのが教えというものです。
伊與田 覺 プロフィール
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【プロフィール】 伊與田 覺 いよた・さとる 大正五年高知県生まれ。学生時代から安岡正篤氏に師事。昭和十五年、青少年の学塾・有源舎発足。二十一年、太平洋思想研究所を設立。 二十八年、大学生の精神道場有源学院創立。三十二年、関西師友協会設立に参与し、理事・事務局長に就任。その教学道場として、四十四年には財団法人成人教学研修所の設立 に携わり、常務理事、所長に就任。六十二年、論語普及会を設立、学監として論語精神の昴揚に尽力する。 著書に『人に長たる者の人間学』、『「大学」を素読する』【致知出版社】 |





