【65回目の広島原爆の日によせて】
(2010年08月06日)

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1945年8月6日朝。私は13歳。広島の女学生でした。 |
どれだけ時間が過ぎたのでしょう。
意識が甦って、叩きつけられた地面から顔をもたげました。
とても静かでした。なぎ倒されて焼けこげた、見たこともない世界が、
音もなく広がっていました。
そばには友人と見定めがたいほどに黒こげになった死骸が
転がっています。
黒く煤けた幾人もの人が、服ばかりかはがれた皮膚まで引きずり、
血に染まった裸同然の姿で、漂うように歩いています。
私自身の姿でもあったのですが、それに気づくこともありませんでした。
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65年前の8月6日、
被爆した笹森さんは5日後に奇跡的に救出され、
一命を取り留めます。
重い後遺症を負ったものの、
アメリカ人ジャーナリストのノーマン・カズンズさんの導きで渡米し、
ケロイドの治療を受けました。
その後、ノーマンさんの養女となり、
後遺症の残る体で米国で看護婦として自立の道を歩んできました。
その笹森さんは、いまの世界についてこのようにお話になられました。
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仮にもし、私が原爆に遭わず、大やけどをしていなかったら、
いくら「平和」と訴えても人の心には響かないでしょう。
そう思うと、やはりすべては神の摂理だったと思わざるを得ません。
あの日、一緒にいた友達のほとんどは亡くなりました。
薬もなく、飲まず食わずで横たわっていた5日間。
生きていたこと自体が奇跡でした。
アメリカに渡ることも私が切望したことではなく、
呼びかけに応じてここまでやってきた。
その道程を思うと、私には与えられた使命があるのだ、
と思わずにはいられません。
核を日本に落としたアメリカ、
そして世界中の核保有国に大きな影響力を持つアメリカで、
核廃絶と平和を訴えていくことが私の仕事なのだと思います。
平和な社会を築くために、
必要なものが3つあると私は思っています。
勇気と行動と愛情です。
勇気と行動だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。
行動と愛情だけでは、物事を変革するのに怖気づいてしまうことがある。
勇気と愛情だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。
この三つが揃って、初めて物事をなしていくことができるでしょう。
私にとって平和な社会を実現することは、
いつの日か叶えたいという夢や希望ではなく、
必ず成し遂げるミッションです。
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そう語る笹森さんは、78歳の現在も世界中を飛び回り、
平和を訴える日々を過ごされています。
![]() | 『致知』2010年8月号
我が体験記 |











