2007年8月号:特集「人は教えによりて人となる」
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最近カンボジアで、九歳の時に水牛の世話をしていて行方不明になった少女が、十八年ぶりに発見され保護されたというニュースがあった。二十七歳になっている彼女はジャングルで暮らしていたらしく、言葉を理解せず、服は破り捨て、四つん這いで歩き、すっかり野生化しているという。
人は人に生まれるのではない、人になるのだ、ということを思い起こさせる話である。では、人は何によって人になるのか。
名君として知られる水戸藩主徳川光圀は、家康の第十一子頼房の次男。才気煥発だったが、若い頃は常軌逸脱、傍若無人、側近が「不品行」と記すほどの不良だった。だが、頼房は光圀の器量を見抜いていたのだろう。世継ぎは光圀と決めていた。もっとも周りには温厚な長男頼重のほうが評判よく、光圀は「言語道断の歌舞伎者」「行く末笑止千万」と見られていた。そんな光圀が十八歳で『史記』の「伯夷伝」を読み、生き方が一変する。
「伯夷伝」はいう。伯夷と叔斉は小国の君主の子。父は末弟の叔斉を跡継ぎに指名し世を去った。だが、叔斉は兄の伯夷に譲ろうとする。伯夷は「父の遺志に背く」と受けず、国を去った。叔斉も兄の後を追う。伯夷と叔斉は周の文王を頼ったが、文王は亡くなり、子の武王が嗣いで、殷を伐とうとしていた。二人は「父の文王の葬礼も済まないのに殷を伐つのは孝に悖る。殷は周の主君で、臣が主を伐つのは仁に悖る」と諫めるが、逆に警護の者に殺されそうになる。「二人は義人だ」と命を救ったのは、武王の軍師だった。
続きは本誌で…。









