2007年5月号:特集「場を高める」
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三月初旬、萩の松陰神社を訪ねた。上田俊成宮司と『吉田松陰一日一言』を編纂した川口雅昭氏の対談のためである。
対談の後、松陰の墓と生家跡に足を延ばした。神社から車で五分ほどである。
「松陰二十一回猛士墓」──墓石にはそう刻まれていた。
「二十一回猛士」は安政元年(一八五四)十一月二日に野山獄で松陰が自らにつけた号である。その謂われを松陰はこう記している。
「吾れ、庚寅の年を以て杉家に生まれ、已に長じて吉田家を嗣ぐ。
甲寅の年、罪ありて獄に下る。夢に神人あり。与ふるに一刺を以てす。
文に曰く、二十一回猛士と。忽ち覚む。因って思ふに、杉の字二十一の象あり、吉田の字もまた二十一回の象あり。吾が名は寅、寅は虎に属す。虎の徳は猛なり。吾れ、卑微にして孱弱。
虎の猛を以て師と為すに非ずんば、安くんぞ士たるを得ん」
〔私は庚寅の年に杉家に生まれ、成長して吉田家を継いだ。甲寅の年(嘉永七年)に海外渡航計画の罪で入獄した。その時、夢に神人が現れて、一枚の紙を与えられた。それには二十一回猛士と書かれていた。目覚めて考えてみると、杉の字は二十一の形(十と八と三)で、吉田の字もまた二十一回の形をしている。私の名は寅次郎で、寅は虎の仲間。虎の備えている徳は勇猛な点である。私は力が弱いので、虎の勇猛さを師としなければ、立派な人物にはなれない〕
獄にあってなお、停滞と怠惰を自らに許さなかった松陰らしい夢であり、覚悟である。実際、松陰はこの獄中一年二か月間に六百十八冊の本を読破、獄を囚人の教育の場と化した。
続けて言う。「自分は勇猛心を用いて事に臨んだことが三回ある。だが、勇猛心を用いて事に当たらねばならないことがまだ十八回残っている」と。「二十一回猛士墓」の碑銘を見ていると、松陰の気迫が伝わってくるような思いがする。
※続きは本誌で……。









