致知出版社|人間学を探求して39年

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第5回入賞作品


金賞 小松憂杏ゆあんさん(豊橋市立豊城中学校1年・愛知県)

 「喜怒哀楽の人間学」。この題名を見た時、すごくこの話に興味がわきました。理由は、喜怒哀楽の言葉をよく耳にした事があったからです。この話は、母と少年、この二人の話でした。ずっと少年を溺愛していたのに、急に一変し、暴力をふるうようになってしまった。その時この母に対する私の印象は最悪でした。それは、急に一変した母を見ている少年がかわいそう、そんな単純な意見でした。でも、読んでいってみると、母の言った言葉に私はしょう撃を受けました。その言葉は、「憎らしい母なら死んでもかまわないでしょう」と書いてありました。
 その時初めて私はわざわざ少年の憎まれ役になってまで自分が死んだ事によって少年に悲しませないために暴力をふるっていたという事に気がつきました。その時私はふと親の事を思い出しました。よく考えてみれば思いあたる点がいくつかありました。ちょっとした事で怒られムカついていたこと、このように怒られただけですぐにいやな風に考えてしまっていた自分が本当に情けないと感じました。
 それと私が大切にしていきたいと思った文があります。それは「喜怒哀楽に満ちているのが人生である」という文です。これを読むまで私は人生は楽しいと思って、人生生きていけば、何も心配ないと思っていた時がありました。でも違いました。怒るという漢字には心が使われています。漢字は意味のある物だといいます。私はその時、おこられているのではなく、自分に対して怒ってくれているという意味に気づきました。それは自分の事をきらっていないしょうこです。だから私の親も私の憎まれ役になってくれているんだと思いました。この本を読むまでの自分、それは今の自分にとって考えられない考えをしていたんだと思いました。この本を読むことがなければきっと私は、今までの自分と同じ考えをしていました。  だから私は、これから今までの自分ではなくこれからの自分に、きたいしたいです。「怒られているのではなく自分のためにおこってくれている」。この言葉をいつでも頭の片すみに入れておきながら生活していきたいです。そしてどんな事があっても最後まであきらめることなく真剣に取り組む姿勢が大事なんだという事も、この本が教えてくれました。だから私はいつも親に感謝の気持ちを忘れることなく、これから過ごしていこうと思います。


◆講評(皆藤章氏)

 この感想文の主軸は、描かれている物語を小松憂杏さんの人生(生活・暮らし)とつねに「映し合わせ」しながら自分の思いを綴っているところにあります。そこから、小松憂杏さんの物語に注がれる愛が伝わってきます。とくに、「怒る」ことについての感想は、中学一年でここまで書けるのかと思わされるほどでした。  数学者の岡潔は、教育において教えることのもっとも難しい感情は「悲しみ」であるとして、「そうすると~が喜ぶから、そうするのは良いことだ」とは教えられるが(「喜び」の感情は共有できる)、「そんなことをしたら?が悲しむから、してはいけない」(「悲しみ」の感情は共有し難い)と教えることができるのは成人を待たなければ無理ではないかといった内容のことを書いていますが、小松憂杏さんの「その時初めて私はわざわざ少年の憎まれ役になってまで自分が死んだ事によって少年に悲しませないために暴力をふるっていたという事に気がつきました」という感想は、岡潔の語りを越える力をもっていると思わされるものでした。そして、この覚知は、一歩間違うと安っぽい正義になってしまうのですが(たとえば自国民を悲しませないために他国を攻撃するなどといった)、小松憂杏さんの主軸がぶれていないので、この感想の後すぐに自身の人生(生活・暮らし)に「映し合わせ」て、物語を自身の内に創造的に活かしています。けっして安っぽい正義感を小松憂杏さんが身に着けたわけではないことがわかります。  また、おそらくこのように感じて、小松憂杏さんは「暴力をふるう」ことについても考えたのではないでしょうか。「暴力」という人生に不可欠の在りようは、真に人生を創造的に生きるために、現代人すべてが考えなければならないテーマなのですが(DV、虐待などなど)、それは非常に難しいことでもあります。しかし、小松憂杏さんはそれを「喜怒哀楽に満ちているのが人生である」との一文を「たいせつにしていきたい」として引いて、そこから「怒る」という「暴力」に通底する在りようを、自身の人生(生活・暮らし)に引き受けて、さらに濃厚に「映し合わせ」をしています。そして、「私は、これから今までの自分ではなくこれからの自分に、きたいしたいです。」という素敵な一文を創造しています。中学一年生がここまでの感想文を書けること、中学一年生にここまでの感想文を創造させる『心に響く小さな5つの物語』に、改めて感動しました。



銀賞 山田彩乃さん(森町立森中学校1年・静岡県)

   この本を手にしたとき、感動系の話って大体同じような話ばかりでつまらないんだよなと思った。しかし、今回は違った。読み終わった後いつもとは違う何かを感じた。五つの話それぞれの人の人生が輝いているように思えて、びっくりした。そして、与えられた環境の中でどう生きていくのかが生きていく上でとても大切なんだなと実感した。
 特に素晴らしいと思った話は「人生のテーマ」と「縁を生かす」だ。「人生のテーマ」では重度脳性マヒの少年の詩が書かれている。その詩を読むと少年の母への感謝の思いがすごく伝わってくる。十五年という短い生涯。私だったらあと三年で生涯を終えるなんてたえられなくて毎日下を向いて生きていくと思う。それなのにその少年は母への感謝の思いを生涯を懸けてうたいあげたからとてもすごいと思った。また、最後の力をふりしぼり、気の遠くなるまで作業をするなんて私にはできないし、苦しみながらも作業していくなんて想像するとやっぱりすごいことだと思う。
「縁を生かす」は、深い悲しみを生き抜いている男の子に訪れた一つの縁がその男の子の人生を大きく変えるという話だ。最初、担任の先生は、その生徒をどうしても好きになれず、印象も悪かったが、その後その生徒が置かれている状況を知り、その生徒を救うようになった。私はこの部分を読んで、人を見ためだけで判断してはいけないなと思った。さらにその後、その生徒は小学校を卒業してからずっと先生に手紙を送り続けた。そしてその生徒が二十九歳ぐらいになったころに送ってきたカードは、「母の席に座ってください」と書かれた結婚式の招待状だった。  私は最後のこの部分を読んで、縁ってすごい、こんなに続くものなんだと思った。また、五年生のときのたった一年間の担任の先生、たったそれだけの他人とこうして何年も繋がれるなんて信じられないと思った。
 与えられた時間や環境をどのように使って「生きる」のか。この本はその答えをいくつか教えてくれた。また、こんなにも素晴らしい人生があるんだと感じた。だから、この本は私の心に強く残るだろう。


◆講評(皆藤章氏)

 良い感想文です。与えられた環境の中でいかに生きるのかという「生きるテーマ」は、現代人すべてに当てはまるものですが、このテーマを抱えるには、他者の人生を自分の人生に映して、他者の人生から人間というものを味わうことが不可欠になります。この意味で、本感想文は、本に描かれている他者の人生が山田彩乃さんの「心に響く物語」だったことでしょう。  ただ、惜しむらくは「他者の人生を自分の人生に映す」という作業が未だ十分ではなかった点です。たとえば、「私だったらあと三年で生涯を終えるなんてたえられなくて毎日下を向いて生きていくと思う。」とか「私はこの部分を読んで、人を見ためだけで判断してはいけないなと思った。」と表現されているように、その作業が書かれてはいるのですが、「自分の人生に映す」在りようがかならずしも濃厚な映し方になってはいないところが残念でした。しかし、中学一年という年齢を思えば、そうした点はこの感想文の価値を何ら下げるものではなく、山田彩乃さんの今後の人生に創造的に残る感想文だと言うことができます。 


銅賞 内山綸菜かんなさん(矢巾町立煙山小学校6年・岩手県)

 私は『心に響く小さな5つの物語Ⅱ』を読んで、こう思った。人間には、生きる力がある。でも、それをかくしながら生きているんだと。第一話の中に、脳性マヒになった方、木村さんの、「脳性マヒにかかったおかげさまで、生きるということが、どんなにすばらしいことかを、知らしていただきました」という言葉がある。それを聞いて、何も知らない人は、病気にかからないのが、ふつうだと思っていたと私は思った。生きていることが、どんなに幸せなことなのか分かった。
 第二話の中に出てくる皮膚病の男の人、しらくもとよばれていた人、みじめで辛かった時代。我が子にはこんな思いはさせまいと望んだ。だが勉強は、してくれない子にさせるなら、先に自分がしようと思った男性は、ある本を読んだ。「ジャン・クリストフ」といういう人物が出てくる。ジャンは、どんなに苦しくても、はい上がってくる。男性は自分もこのように生きていこうと思った。どんなに昔が苦しくても、どんなにだめでも、今できれば、昔のことなど、どうでもいいと思えたのではないかと考えた。
 第四話の中では、男の子が出てくる。学校には、貧しかったため、行けなかった。二十代になったころ、恋人の死という悲運に見舞われ、神経衰弱を患う。でもその中、弁護士の資格を取り選挙に四度出たが落選した。でも、夢と志が逃げることを許さなかった。そうして、大統領の座を射止めたその時は五十一歳だった。その男性の名は、エイブラハム・リンカーンで、有名な大統領の名だった。夢と志に向かっていく者たちに、天は試練を与え試している。でも、私はそんなことはない。必ずしも、試練が、みんな同じとはかぎらない。自分は、自分なりの、その人は、その人なりの試練がある。だから、自分のほうがつらいと思っても、その人は、つらいと思っているかもしれないと思うと、試練とは、一人一人の困難が、きっとやってくると思った。
 この本を読んで、改めて思った。人間には生きる力があるのだと。その力を出して、しょうがいを終える人と、力を出さないで、しょうがいを終える人とは、ちがいが出る。その力を出すには、生きることの大切さを知るということ。また今を大切に、この平和にくらせていることが奇跡なのではと思うくらいの本だった。

◆講評(皆藤章氏)

 この感想文の主軸は、病気や貧困といった人生の悲観性が「生きる」体験を通して幸福性へと転換していくところにあります。内山綸菜さんはまず、「脳性マヒにかかったおかげさまで、生きるということが、どんなにすばらしいことかを、知らしていただきました」との文を引いて、生きていることそれ自体の幸せを語っています。随筆家の岡部伊都子は「自分が学歴はないが病歴がある」と語っていますが、この語りに鶴見俊輔が、病歴は学歴を超える力をもっているとして、病床での自己内対話が人間の精神を築いていくことを指摘したことを想起させます。ただ、惜しむらくは、生きていることはたしかに幸せなのですが、その覚知に到るまでのひとの生きる在りようについて、自身の人生(生活・暮らし)との「映し合わせ」から語ってほしかったという点です。この点を、内山綸菜さんは「試練」についての感想で考えています。「私はそんなことはない。必ずしも、試練が、みんな同じとはかぎらない。自分は、自分なりの、その人は、その人なりの試練がある。」と、非常に重要な覚知を語っています。ここに内山綸菜さんが描く人間らしさが生きていると思いました。こうした感想を自己内対話しながら綴り、最後に「今を大切に、この平和にくらせていることが奇跡なのではと思うくらいの本だった」と締めくくっています。小学六年生の感想文としては秀逸だと思いました。


 

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