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『致知』で出逢ったいい話







『致知』2007年12月号
「一人には一人の光があるその内なる光を育む」
の記事より


--- はぐるまの家の原点  ---


以下は、今回は、福井県で子供たちの自立を支援するフリースクール、はぐるまの家を運営する坂岡嘉代子さんのお話です。

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私の母には4人の連れ子があり、
父には2人の連れ子がありました。

はぐるまの家では、片親の子や、
自分を捨てた親を恨んできた子の面倒を
たくさん見てきましたので、
両親はその子たちを通して、
見たくないものを随分見せられてきたと思うんです。

でもその一方で、私のこの生き方を通して、
両親の魂は浄化されていったんじゃないか、とも思うんです。

父は師範学校を経て早稲田大学を出た人ですけれども、
母は表具屋の娘で、身分も合わないということで、
母方の子どもはみんな奉公に出されました。

父方の兄は町で一番の学校に入りましたが、
母方の兄はものすごくできたのに
学校へ行かせてもらえませんでした。

当時は結婚に反対していた姑が健在で、
母は自分の連れてきた子には常に遠慮を強いてきたんです。

兄は、毎晩裸電球のぶら下がった暗い台所で

「母ちゃん、頼むから学校に行かせてくれ。
 あっちの兄貴も行ったじゃないか」

とせがむんですね。

母は

「分からんのか、おまえは母の連れ子やぞ」

と兄の背中を薪でぶちながら、必死で我慢をさせようとする。

「堪忍せぇや、堪忍せぇや」

と泣いていたのを、私は柱の陰から見ていました。


兄は毎日日が暮れるまで家に帰ってきませんでした。
その間に母はおにぎりをつくって、私に届けさせるんです。
兄はいつも近くのお寺に積んであった材木の陰で時間を潰していて、
それを食べてから帰ってきました。

皆で揃って夕飯を食べる時は、
母は父方の子にはご飯をたくさんついで、
兄と私には少ししかよそいませんでした。

父方のきょうだいが次々とご飯をお代わりしている中で、
私はいつも、兄が一人寂しそうにおにぎりを
食べている姿を思い浮かべていました。
兄は集団就職で名古屋のカバン屋に入りましたが、
心を荒ませて、しばらくして辞めました。

私は、はぐるまの家でこれまで
400人以上ものご縁をいただいてきたんですが、
親との関係で心を荒ませてきた子どもたちを見ていると、
兄の姿と重なるんですね。

きっと父への怨み、父方の兄への腹立ち、
そして母に対する何とも言えない
複雑な感情が渦巻いていたに違いない。

私の活動を一番喜んでくれたのは、その兄でした。

「あの頃は母ちゃんも辛かったやろう、
 俺もだいぶ辛く当たって困らせたけど、
 あの体験があったからこそいまの平穏な生活があるんだ」

と、しみじみ語ってくれます。


ですから、私の心の中には、
親子の葛藤を抱えた子ども時代の兄と私
という原風景が常にあるんです。
当時の兄に手を合わせるような思いで子どもたちに接し、
たくさんのお子さんを通して
兄への償いをするような思いで活動を続けてきたんです。


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