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エベレストの単独・無酸素登頂に挑む不屈の登山家 栗城史多

酸素が平地の三分の一しかない
死の地帯といわれる八千メートル峰に
酸素ボンベを持たず挑み続ける男
栗城史多氏、二十九歳。
「八千メートル峰の頂上にある感動を
多くの人と共有したい」との思いから、
登山の模様をインターネットで生中継し、
世界中の人々に勇気と感動を与えています。

『致知』3月号では、栗城氏に極限の世界に挑み続ける中で見えてきた境地と、
飽くなき挑戦心の源泉についてお話しいただきました。
本コーナーでは、そのエッセンスを一部ご紹介します。

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インタビュー「終わりなき頂上への挑戦」(2012年3月号) 



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【名言】


ここが限界、ここが最終地点と決めつけた瞬間にすべてが終わる。
終わりは始まりであり、道のない道を歩き続けることで未来は切りひらかれていく


   

――何のために山に登るのでしょうか。


ひと言でいえば、「冒険の共有」ということです。
インターネットの動画配信をやり始めた時、
それを見てくれていた人たちのメッセージを読んで思ったんです。
「ああ、自分だけが山に登っているんじゃない。
皆それぞれ、見えない山を登っているんだな」って。
講演会をしていても、「この間の試験受かりました」「夢叶えました」と、
私のところに報告に来てくれる人が多いんです。
先日も、四十一歳でようやく教員試験に受かって先生になれたという方が
報告にきてくださったりしました。
その人にとっては教員試験が見えない山であり、エベレストです。
そして、誰しもが自分の中のエベレストを登っているわけです。
勿論、中には挫折してしまった人もいるでしょうが、
私はそういう人たちと夢を共有して、
「自分はできない」「無理だ」と思っている心の壁を取っ払いたい。
見えない山に挑戦し、ともに成長していきたい。それが私の目指す登山なんです


――八千メートル峰は常に死と隣り合わせの世界だと思いますが、
危険を冒してまでなぜ山に挑み続けるのでしょうか。


やはり母の影響が大きいですね。母は、私が十七歳の時にがんで亡くなりました。
体中にがんが転移していく中、普通だったら「辛い」「痛い」と、弱音を吐くところだと思うのに、
母はそういうことを一切口に出さなかった。
必死にがんと闘っている母の姿を見た時、
私は母から「一所懸命生きなさい」と言われているような気がしたんです。
その母のメッセージが私の中に強烈に残っていて、
いまもなお、自分を突き動かす原動力になっていると思います。
私は講演をしていて、聞かれるんです。
「死の危険を冒して登ることは怖くないんですか」と。
しかし、私は決して死というものが悪いものだとは捉えていません。
終わりがあるからこそ、いまがあることに感謝し、一所懸命生きることができると思うんです。


――栗城さんにとって生きるとはどういうことですか。


生きるとは、長く生きるかどうかではなく、
何かに一所懸命打ち込んで、そこに向かって命を燃やしていくことだと思います。
たとえ九十歳まで生きたとしても、夢も目標もなく、何にもチャレンジしない人生はつまらない。
八千メートル峰は無酸素ではずっと生きられません。
そこへは酸素ボンベを使って、グループで登っていったほうが死のリスクは低くなりますが、
私はそれをやるかといったら絶対にやりません。


――何かご自身の信条とされてきたことはありますか。


いろいろとありますが、まず「一歩を踏み出す」こと。
そして「諦めない」ということ
が、私の生きる姿勢かもしれません。
山登りでは一歩を踏み出さないと頂上にはいけません。
登山に限らず、地上のいろいろなチャレンジにおいても、
「できる」「できない」と考える前に、まずはやってみることが大切だと思うんです。
ライブ中継による「冒険の共有」も、技術的なことは一切気にせず、
とにかくやってみたいという思いで始めました。
私がエベレストを登頂できずに下山して帰ってくると、
周りからは「失敗した」って言われるんです。でもそれはちょっと違います。
成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは「何もしないこと」です。
私は山登りを通して、挑戦し続けていく先に必ず登頂や成功があるのだと確信しています。
だからこそ、諦めないことの大切さを伝えていきたいと思っています。


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