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ムーティさんが淹れたコーヒー

今年もオーストリアからのニューイヤーコンサートで元旦の幕を明けましたが、
指揮をするマリス・ヤンソンスさんの
優雅でちょっぴりユニークな姿をテレビで観ていたら、
ふと遠い昔に出会った
イタリア人のムーティさんのことを思い出しました。
確か2004年のニューイヤーコンサートで指揮台に立ったのも、
そのムーティさんだったと思います。

リッカルド・ムーティさん
クラシックファンの方なら、どなたもご存知の指揮者です。
音楽に決して詳しくない私ですが、
これからそのムーティさんにまつわる細やかな話をいたしましょう。

ミラノ・スカラ座の芸術監督やシカゴ交響楽団音楽監督を歴任するなど
今では巨匠と言われるムーティさんですが、
彼がまだ若かった頃、日本で初舞台を踏むために、
イタリアから来日したのは確か昭和50年の冬だったと思います。
そして、その舞台になったのが、この名古屋の地でした。
同時に来名したオーケストラは勿論ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。

その頃、私は電話局で交換手をする傍ら、
NHK名古屋放送局でこっそりアルバイトをしていて、
主催がNHKであったことから、
そのリッカルド・ムーティさんのお世話係をすることになりました。

ムーティさんは、当時34才。
初めての日本で、ウィーン・フィルの客演指揮者として舞台に立つのです。
曲名は、ドボルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」。

滅多に見ることが出来ないと言われているリハーサルは連夜繰り返し行われ、
終始張りつめた絃のような、緊張感あふれるものでした。
寒い冬にも拘らず、額から流れ落ちるムーティさんの汗。
若くて細身のムーティさんは、長時間のリハーサルと、
妥協の許されないその空間の中で、
緊張のために、今にも壊れてしまうのでは・・・と思えるほどでした。

そして、いよいよ本番の日・・・。
楽屋で衣裳をつけた後も、落ち着かない様子のムーティさん。
しかし、彼のすぐそばには、
同伴で来られたクリスティーナ夫人の優しい姿がありました。

にこやかに笑みを送り続ける夫人。
それでも緊張を隠しきれないムーティさんは何度も鏡の前に立ち、
その表情を和らげようとしています。
部屋の中を行ったり来たり・・・
楽屋の隅には、こちらで用意した日本茶のほかに、
夫人が使うためにイタリアから持参されたコーヒーメーカーが置いてあります。

開演まであと30分・・・
時刻を告げたその時、ムーティさんは何かを思いついたように、
ふいにそのコーヒーメーカーの前に進みました。
そしてセッティングをし、コーヒーを淹れるための作業を始めたのです。
驚いて手伝おうとしましたが、
大切なコーヒーメーカーですから、私が触れるわけにはいきません。
唖然として立ち尽くしている間に、ムーティさんは二杯分のコーヒーを淹れ終え、
そのうちの一杯を自分で運んで、クリスティーナ夫人に差し出しているではないですか。

まさか・・・。
いくらレディファストの国とはいえ、外国まで来て今から大舞台に立とうという人が、
本番直前に夫人のためにコーヒーを淹れるなんて・・・。
それに夫人は手伝う様子もなく、座ったまま、
夫が差し出すコーヒーをにこやかに、しかも当然のように受け取っているのです。
一見、のどかな光景。
しかし、それはどこか場違いな映画の一場面を観ているような不思議な光景でもありました。

コーヒーを飲み終えた固い表情のムーティさんと共に、私は舞台裏へ急ぎました。
ムーティさんがステージの中央に向かう後姿を見送りながら、
私はこれからこの大きなステージで彼が描き出す壮大な音のドラマを想像しました。
そして、静けさの中で彼が手を振った瞬間にそれは始まりました。

繊細で透明な音。心を奪われるほどの迫力・・・
あの日の「新世界」は生涯忘れることが出来ないほど素晴らしいものでした。

鳴り止まない拍手とアンコール。
若きリッカルド・ムーティさんの日本デビューは、大成功だったのでした。

しかし私の頭の中にはいつまでもあのコーヒーの謎が残りました。
日本人の私には、どうしても理解できないのです。
国は違えど、これから戦に出かける夫が、
妻のためにお茶をいれるなど、とうてい考えられないことなのです。

安堵の表情と満面の笑みで楽屋に戻ってきたムーティさん。
大勢の関係者が集まって来て、ムーティさんを取り囲み、その成功を讃えていました。

しかし、私はまだ納得がいかないのです。
そして翌日・・・
いよいよムーティさんが帰国する時が来ました。
ムーティさんはあの黄金の手で優しく握手をして下さり、
日本語で「ヨーコさん。アリガトウ」と言いました。
チャンスは今しかない・・・。
私はその時、失礼を承知ですぐそばの通訳の人を通してムーティさんに尋ねました。
「あんなに緊張している本番前に、
なぜあなたは夫人のためにコーヒーを淹れたのですか」と。
するとムーティさんは大声で笑い出しました。
そして言いました。
「その答は簡単だよ。緊張しているからこそ、わざとそうしたんだ。
普段と同じことをすることで、気持ちを和らげたんだよ。
どお・・・。ハハハ・・・。だから大成功だっただろ。
それを一番よく知っているのは彼女(夫人)さ。あなたにも、やがてわかるよ」
そうだったのか。まさに目からウロコでした。


でもあの時、勇気を出して聞いておいてよかった・・・。
聞いていなければ、37年後の今でも私の“なぜ・・・”は終わらなかったと思います。
きっとイタリアまでムーティさんを追いかけてでも、解き明かそうとしたでしょう。
当時28才の、世間をよく知らない私にとって、
あのコーヒーの謎はそれほど重大で気がかりな出来事に思えたのでした。

ムーティさんは、信念を曲げない人であっただけに、
その後何かとメディアの攻撃対象になることも多かったようですが、
それらを乗り越え、今はカラヤン並の待遇。
ウィーン・フィルとはとりわけ親密で名誉団員の称号を贈られたり、
彼らの専用機に搭乗が許されているのは
唯一ムーティさんだけだとか。
それにしても当時34才だったムーティさんも、今年は71才に・・・。
「ムーティさん。今もクリスティーナ夫人にコーヒーを淹れていますか」

2012年初春 介護の合間にJ・シュトラウスを聴きながら・・・



















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著者プロフィール

山村 洋子 (やまむら ようこ)
1947(昭和22)年、岐阜県に生まれる。
銀行、通信会社、外資系スクール勤務を経て独立。
研修プロジェクト「Tea Time Network」を主宰。
一流企業を中心に年間百数十社の企業研修と講演で東奔西走の日々を過ごす。
産能大学総合研究所の講師をはじめ、名古屋女子文化短期大学(現・名古屋文化短期大学)、名古屋女子商科短期大学(現・名古屋経営短期大学)、江南女子短期大学等の非常勤講師を務める傍ら、中部日本放送 (CBCラジオ)のニュースキャスターやパーソナリティとして活躍。
10年間で700回を超える講演をこなす。
著書: 『赤い自転車に乗って―自分で人生を切り開けば何度でも立ち上がれる

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