致知出版社 > 単行本・CD・DVD案内 > 『安岡正篤 心に残る言葉』まえがき

『安岡正篤 心に残る言葉』まえがき

御年96歳、安岡正篤師の高弟にして、古典を学び続けて80年以上の伊與田覺氏に、 『安岡正篤 心に残る言葉』のまえがきを書いていただきました。

安岡師の貴重な青年時代のお写真(※『安岡正篤一日一言』より)とともに、全文をご紹介いたします。

安岡正篤
小学校時代の安岡正篤師
(中央、洋装姿)
安岡正篤
中学時代(後列中央)
安岡正篤
昭和初年頃、自宅庭にて


孔子(西紀前五五一~四七九)の弟子三千、六藝に通ずる者七十二人と『史記』にはあります。けれども五十にして天命を智(さと)った孔子の真髄に通ずる者は、僅かに顔回のみだと目されていました。その顔回が、孔子の晩年師に先立って死にました。孔子は「噫(ああ)天予を喪(ほろ)ぼせり」と嘆き悲しまれました。

然し天は孔子を見離しませず、七十二歳の時、若い二十六歳の曽子(そうし)を遣わされたのです。曽子は名は参(しん)、孔子が甚だ親愛した弟子、曽皙(そうせき)の子でした。平素孔子からは「参は魯(ろ)(のろま)だ」と評されて、さして目立った存在ではありませんでした。只生来大変素直で実行性に富み、特異な青年として注目されてはいました。

ある時、曽子をはじめ若いグループの集いに孔子が来合わせて、特に「参よ、私は一を以て貫いているのだよ」と唐突に申されました。曽子はびっくりしながら孔子を見上げて、「はいそうでございます」と澱みなく答えました。孔子は微笑みながら暫く曽子と対しておられましたが、そのまま何も仰せられず、踵(きびす)をめぐらして足取りも軽く帰っていかれました。

これを「以心伝心」というのです。道縁を同じくする者の間のみに起こる珍らしい共鳴の表れです。他の弟子達にはその内容がわからないので「どういう意味か」と尋ねましたところ、曽子は「孔子の言う一は忠恕だ」と自分の言葉で答えました。後世曽子の言葉が、素直に孔子の心だと受容されるのは道縁を同じくしたその人柄によるものです。

致知出版社社長の藤尾秀昭氏は、久しく安岡正篤先生に私淑されながら、遂に先生と面晤(めんご)する機縁に恵まれなかったようです。然し道縁は不思議なもので、先生の没後率先して先生の遺著の刊行を続けられ、いつしか二十数冊に及ぶそうです。その道縁の深さは一朝一夕のものではなく、曽子の如く前世からの因縁によるものと思われます。

この度自著の「安岡正篤―心に残る言葉」を上梓されるに当たり、不肖の弟子の老生にその「まえがき」を懇請されました。耄碌の進んだ迂人はその任ではないと思いましたが、読み進む中に先生の温顔が終始浮かんで一気に拝読いたしました。なお巻を置くに忍びず三度も繰り返したのです。その間文中の「滴骨血」の如く藤尾氏と先生との道縁の深さが自ら感得させられるのは決して私一人ではないと信じます。

先生の没後二十七年、邦家の為江湖に広く普遍されることを衷心より念ずる次第でございます。

平成二十二年十二月二十日    有源舎に於て
論語普及会学監  伊與田 覺

伊與田覺氏
伊與田覺
(いよたさとる)

(論語普及会学監)
大正5年高知県生まれ。学生時代から安岡正篤氏に師事。昭和15年、青少年の学塾・有源舎発足。21年、太平思想研究所を設立。28年、大学生の精神道場有源学院創立。32年、関西師友協会設立に参与し、理事・事務局長に就任。その教学道場として財団法人成人教学研修所の設立に携わり、常務理事、所長に就任。62年、論語普及会を設立、学監として論語精神の昂揚に尽力する。
 ⇒伊與田氏詳細プロフィール
 ⇒伊與田氏に会いにきてください!


▲ページ上部へ

定期購読のご案内
33周年記念ページ 無料メールマガジン 致知ギフト おかみさん便り 致知出版社編集部ブログ 致知出版社オンラインショップ 致知出版社オンラインショップ店長ブログ
サイト内検索


Twitterへ
facebookへ
1. 人間学入門
2. 小さな人生論
3. 人生を勝利に導く金言
4. 孔子の人間学
5. 日本を創った男たち