通いに通って、なんと3年3か月


いまや年商1,000億円を超える
企業グループをつくり上げた
木下印刷会長・木下宗昭さん。

自宅の一室を事務所代わりにして
創業した木下さんには、どんな
ドラマが待ち受けていたのでしょうか。

───────「今日の注目の人」───

☆ 通いに通って、なんと3年3か月 ☆

木下 宗昭(佐川印刷会長)
   ×
福地 茂雄(アサヒビール社友)

※『致知』2017年3月号【最新号】
※特集「艱難汝を玉にす」P64

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【木下】
創業してほどなく、
佐川急便創業者の
佐川清元会長とご縁をいただいて、
運命が大きく変わったという
思いがございましてね。

ご本人のお許しをいただいて、
昭和51年に「佐川印刷」
に改めたのです。


当時の佐川急便さんは、
まだいまほど大きくは
ありませんでしたけど、
勢いがありました。

お伺いするとものすごい
元気をもらうんですよ。

この会社は伸びるなと
思って通い始めたんです。


最初、佐川清元会長のことは


「あの背の低い方が社長さんか」


と遠くから拝見する
だけだったのですが、
私がいつも


「毎度っ! キノシタ印刷です!」


って大声で入っていくもの
ですから非常に目立ちましてね(笑)。

一年ぐらい経つ頃には、


「木下君、お茶でも飲んでいきなさい」


と、本社の裏にあるご自宅に
よく招かれるようになりました。

お茶はいいから、早く仕事が
欲しかったんですけれども(笑)。

木下さん

【福地】
なかなか仕事には
結びつかなかったわけですな。


【木下】
途中で何度も、もう通うのは
やめようかと思いました。

それでもローラー作戦で
近所一帯をいつも
回っていましたから、
まぁいいやと気を取り直しては
お邪魔していたんです。


そうして3年3か月通った時に、
初めて名刺のご注文をいただいたんです。

九州の会社を買収に行かれる時に、
お名刺に誤植が見つかり、
その印刷会社をやめて、
木下のところに出してやれ
ということになったようなんです。

総務の方からご連絡をいただいた時は、
もう涙が止まりませんでしたわ。


これは特急で納めるべきだと思って、
お世話になっている職人さんの
ところに飛んで行き、その日の
夕方の5時半頃にでき上がった
名刺をお持ちしたんです。

そうしたら……



※ひたむきな努力で社業を
 発展させていった木下さんの
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