芥川龍之介とキリスト

芥川龍之介に「仙人」という短編小説があります。

仙人になることを夢みる、人のよい権助という若者がいました。
「うちで働けば仙人にしてあげるから」という言葉を信じ、
人使いが荒い医者夫婦のもとで、
文句一つ言うことなく何年もただ働きした挙げ句、
最後には高い木に登るように命じられて、落ちて仙人になってしまう、
という物語です。

シスターでもある鈴木秀子さんは、
この奉公人・権助の姿がイエス・キリストと重なると話されます。
そこに見えてくるのは、芥川が求めた生き方でもありました。



鈴木 秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)
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※『致知』2018年1月号【最新号】
※連載「人生を照らす言葉」P108
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この物語を読む時、私は権助の生き方がある一人の人物と重なります。
それはイエス・キリストです。

人々から激しく迫害され、罵られながらも、
キリストは最後の最後まで目に見えない神様を信じ抜き、
人々を愛し抜きました。

十字架の死すら神様の御心として受け入れ、
肉体は滅びても40日後に奇跡の復活を遂げるのです。
 
私たちの社会は様々な欲望に満ちています。
しかし、いくら欲望を満たしてみたところで、
所詮は一時的な喜びに過ぎず、
最後には必ず空しさを覚えるようになっています。
 
これに対してキリストが説いたのは絶対的で
永遠に繋がる全き愛の世界です。主人公・権助もまた、
そのような変わることのない心の満足を得ることができるならば、
自らの生活、さらには命すら犠牲にしても悔いはないと考えていたのです。
 
権助が太閤秀吉を例に
「人間と云うものは、いくら栄耀栄華をしても、
はかないものだと思った」と語り、永遠不変の仙術を
手に入れたいと心底願った件からは、そのことが窺えます。
 
そして、芥川龍之介その人がまさにキリストを
慕い続けた一人でもありました。『西方の人』『奉教人の死』など
キリストや殉教をテーマにしたいくつかの作品では、
龍之介が人間にとって一番価値ある生き方をキリストに見ることで、
心の渇きを満たそうとしていたことを知ることができます。
 


それは龍之介に限ったことではありません。
前回の本欄で私は、大手電気企業の子会社の社長を務めながらも、
表面的な肩書や地位を得ることに空しさを感じ、
退職後は私の鞄持ちになりたいと申し出てくださった
男性の話を紹介しましたが、人間誰もが心の深いところで
人生の真の満足を求め続けているのだと思います。
 
私がよく知っているある有名な老舗菓子店の経営者は、
ダウン症という障碍を授かって生まれた娘さんの
純粋な心に触れることで人間の素晴らしさや人生の喜びに気づき、
それまでの即物的な人生観を一変させました。
いまは熱心なクリスチャンになり、
事業の傍ら障碍者の自立支援に命を注いでいます。
 
私たちが本心の満足を得るのは、社会的な活動や地位、財産といった
人間のdoingの世界のさらに奥にある、
自他のありのままの存在を認めるbeingの世界に触れた時です。
私たちが大いなる存在によって生かされ、
お互いに深いところで繋がり合っていると知ることは、
真の心の満足を得る第一歩であると私は確信します。

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