日本に実在したタフ・ネゴシエーター

幕末、日本とロシアの間で締結された日露和親条約。
千島列島と樺太の領有を目論むロシア側に対峙したのが、
勘定奉行の川路聖謨(かわじとしあきら)でした。

占部 賢志(中村学園大学教授)
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※『致知』2018年1月号
※連載「日本の教育を取り戻す」P120

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【PTA役員】
では、これからの日本はどうしたらいいのでしょうか。
参考にすべき世界の国との付き合い方、
あるいは交渉の仕方などが歴史に残されていませんか。

【占部】
ありますよ。たとえば、皆さんよくご存じの日露和親条約があるでしょ。
あれは日本とロシアの国境を画定するための条約です。
そのための交渉に来航したのがプチャーチンでしたね。

実は、この条約締結の交渉過程における
双方の発言の一言一句がすべて記録に残されています。

【PTA役員】
そんな記録があるんですか。面白そうですね。

【占部】
これを読むと分かりますが、日露双方は千島列島と樺太をめぐって
息詰まる交渉を繰り広げています。我が方の交渉チームの代表は、
幕府きっての国際通として知られた勘定奉行の川路聖謨です。

まずプチャーチンは、「択捉(えとろふ)は何れの所領と心得られ候や」

と切り出すのです。これに対して川路は43年前の故事を挙げて応じます。

「プチャーチン殿、かつて貴国の軍人ゴロウニンが国後(くなしり)で
わが国に捕らえられた事件は御存じであろう。
その時、ゴロウニンはウルップと択捉のあいだを国境とする旨、
証文で確約したではないか。従って当然のこと、択捉はわが領土である」

プチャーチンは狼狽して、この件を保留するのが精一杯でした。



次いで議題は樺太問題に移ります。
川路は樺太の国境についてはきちんとした
実地調査を行って確定すべきであると主張。
これに対してプチャーチンは、早期に目処が立たなければ
樺太に入植を開始するぞと恫喝するのです。

こうした態度に川路は負けてはいません。こう切り返しました。

「貴殿の態度は何と傲岸(ごうがん)か。
 もはやこれまで、交渉は打ち切ろうではないか」

この川路の剣幕を目の当たりにしてプチャーチンは、

「申立ての眼目は、事を速(すみやか)に致度くと存ずる事に候間、
 御勘弁之有り度く候」

要するに、早期に妥結したい気持ちから申し上げたに過ぎず、
誤解を招いたとすればお詫びすると陳謝したのです。
脅しにはけっして屈しない川路の面目躍如たる場面ですね。

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