千利休とキリスト教

「茶の湯」が「茶の道」として発展していく過程では、
ある思想の影響を忘れてはいけないと
裏千家前家元の千玄室さんは説いています。

それが禅とキリスト教です。
千さんのお話に耳を傾けてみましょう。

千 玄室 (茶道裏千家前家元)
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※『致知』2018年3月号
※連載「巻頭の言葉」P2

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千利休の曾祖父は足利義政や義尚に、武士として、
また文化担当にあたる仕事を千阿弥と称して仕えていた。
堺で商業に従事する父のもと若き利休こと与四郎は、
何とかいま一度武門の人にと思い、教養を高めるために歌の道に入った。

そして歌道により情の文化を知りそれを身につけ、
また武門出身で茶人である武野紹鴎のもとで茶の湯を学び、その中で多くの人と交わり、
特に先輩の今井宗久などの影響を受け新しき思想のキリスト教も学んだ。

それにより禅とキリスト教、東西の宗教観の一体感を見出した利休により、
茶の湯が茶の道となっていったのである。
世のキリシタン大名といわれる高山右近、織田有楽斎、大村純忠等々の人々が
利休の直系弟子になっていることをみても、
キリシタンの影響が茶の道に及んだのがわかるであろう。



詳細は書き切れないが一例として、
茶室の躙り口はまさしくバイブルのマタイ伝にある狭き門の教えと同じ意味を持つ。
区別差別なく武門といえども帯刀を許さず、丸腰で茶室に出入りするための門である。
このように共通的解釈ができるほど、思想哲学的にも茶の道の確立に深い関係が見出せる。

秀吉の時代の後期、天正15(1587)年6月にキリシタン宣教師追放の命がまず九州へ下された。
このキリシタン追放によって、国内の信者は大きな動揺をきたした。
キリシタンの教えは、人間の平等・寛容そして自我意識など多くの自覚を人々へ与えた。
このように茶の湯が道=茶道として歩み出した裏には、
キリスト思想も含まれていたものと考えられるのである。

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